国鉄が1966年に赤字に転落すると「使命を終えたローカル線」の廃止に向けた議論が始まるが、その一方で鉄道公団はローカル線の建設を進めるという矛盾した状況に陥った。ローカル線の建設が凍結されるのは、国鉄再建法が成立した1980年のことだった。

 同時に国鉄再建策としてのローカル線の見直しが動き出す。輸送密度4000人未満の線区はバスによる輸送を行うことが適当であるとして、バス転換が可能な83線区3157キロの路線を「特定地方交通線」に指定し、廃止または第3セクター鉄道に転換する方針が示された。鉄道敷設法は国鉄が民営化した1987年にようやく廃止された。

 ところで国鉄再建法の審議過程で運輸省は、議員からの「公共性の放棄ではないか」との指摘に対し、「地域の足を奪うのではなく、バスへの転換によって公共交通の効率化をはかり、むしろその長期的維持を目的として」おり、「地方交通線は輸送量の低落によって鉄道特性を失っている状況にあり、収支改善の回復力がない経営努力の限界を超える赤字」が発生していると説明している。これもJR西日本の主張につながる話だ。

 この時、輸送密度4000人以下の路線が廃止されたにもかかわらず、輸送密度9人の芸備線(東城~備後落合間)や18人の木次線(出雲横田~備後落合間)、50人の大糸線(南小谷~糸魚川間)が存在するのは、特定地方交通線には鉄道を代替する道路が整備されていないなどの除外規定があり、それに該当する路線は廃止されずJRに継承されたからだ。

 つまり国鉄再建法当時の考え方に基づくならば、当時除外された要因が解消されたのであれば使命を終えたローカル線として廃止するのは当然の流れということになる。JR西日本も、今回公表した30線区に当時の除外規定に当てはまるものはないと説明する。

 ちなみに国鉄再建法施行令は、輸送密度8000人以上の黒字路線(幹線鉄道)、4000人以上の赤字でもバスより経済的な路線(地方鉄道)、4000人未満の廃止対象路線(特定地方交通線)と分類している。今回JR西日本が発表した「線区別ご利用状況」も8000人以上、4000人以上~8000人未満、4000人未満と区分していることからも、基本的に論点は国鉄時代の延長線上にあるのだろう。

 国鉄はローカル線を維持してきたが、民営化によって安易に廃止されるようになったという認識を持っている人は少なくない。だが上述のようにローカル線問題の論点や対処方針は当時からほとんど変わっていない。それでも変わったものがあるというのなら、それは鉄道以上に道路や街が変わったのである。

 JR発足から35年という月日は、鉄道開業から鉄道国有化までの34年、国鉄発足までの43年、国鉄民営化までの38年に匹敵する長さである。鉄道のあり方は時代とともに、地域との関係とともに変わってきた。日本鉄道史上、4度目の転換期を迎えた今、単なる赤字路線の切り捨てではなく、地域の活性化につながる議論が進むのか注目したい。

【訂正】記事初出時より以下のように訂正します。
24段落目:上限分離→上下分離
26段落目:地域交通活性化再生法→地域公共交通活性化再生法
(2022年3月7日15:00  ダイヤモンド編集部)