「多様性の包摂」という、大きなビジネスチャンス

『ミズ・マーベル』は、タイトル通り「ミズ・マーベル」というヒーローが活躍するコミックスである。米国で13年に出版され、17年には日本語版も出た。映像化はまだなので、日本ではアメコミ愛好者以外にはあまり知られていないが、米国ではすでにかなりの旋風を巻き起こしており、近いうちに米国国外でもスパイダーマンやキャプテン・マーベルのような存在になるはずだ。

 ビジネスパーソンに『ミズ・マーベル』を推したい理由は2つある。第1に、本作がコミックスビジネスに変革をもたらしたエポックメーキングな作品であり、ビジネスプロジェクトとして非常に興味深いから。第2に、描かれている内容がビジネス的に非常に重要だからだ。

 第1の理由からいこう。本作はかなり型破りなスーパーヒーローものだ。というのも、スーパーヒーローに変身する主人公のカマラ・カーンは16歳の女子高生であり「パキスタン系のムスリム(イスラム教徒)」という、およそこれまでのヒーロー像とは懸け離れた属性が与えられているのだ。

 この新ヒーローの生みの親が、マーベル・コミックスの女性編集者、サナ・アマナットである。アマナットは、今最も注目されているスター編集者の一人だ。日本の漫画では作者(漫画家)を唯一絶対のクリエーターとしてイメージしがちだが、アメコミの世界では分業と共同製作が前提となっていることも多く、編集者は「スーパーヒーローのプロデューサー」として大きな役割を果たす。『ミズ・マーベル』も、単行本に作者としてクレジットされているライター(脚本家)のG・ウィロー・ウィルソン、アーティスト(作画家)のエイドリアン・アルフォナに、アマナットをはじめとした他メンバーを加えたプロジェクトチームから生まれた作品なのだ。

 実はアマナット自身が南アジアにルーツを持つムスリムであり、カマラの人物造形には、彼女の少女時代の経験がかなり濃密に反映されている。Disney+(ディズニープラス)で配信中のドキュメンタリー『マーベル616』のエピソード2<より高く、より遠く、より速く>で、アマナット自身が本作誕生の経緯を語っており(これ、マーベルの歴代女性クリエーターの奮闘を描いた感動的な作品なので、ぜひ多くの人に見てほしい!)、作品の本質を「自分のことをのけ者のように感じている女の子が、自分のパワーを理解し、成長していく物語」だと説明している。奇をてらって変わった属性をひねり出したわけではなく、一人の少女の現実から自然に芽吹いた「マイノリティーに寄り添う物語」なのである。

 マイノリティーに寄り添う、というと「ポリティカルコレクトネスの押し付けだ」という反発を招くことがあるが、ポリコレ自体は表現を狭めるおりではなく、むしろ表現の幅を広げる触媒として機能することも多い。うまく意識すれば、多様性を包摂することによって作品の受容性を高め、ビジネスチャンスを広げるものだと筆者は思う。実際、黒人ヒーローの活躍を描いた映画『ブラックパンサー』(2018年)で超弩級のヒットを飛ばし、それが「売れる」ことを全世界に見せつけたのもマーベルだった(その描き方には賛否あったが)。『ミズ・マーベル』は、新キャラクターの造形というゼロ地点からここにチャレンジした革新的な作品といえる。

 反響は鮮烈だった。『ミズ・マーベル』は出版と同時にばか売れして増刷を重ね、「ニューヨークタイムズ」のベストセラーリストに名を連ねた。15年にはSFで最も栄誉ある賞といわれるヒューゴー賞の最優秀グラフィックストーリー部門賞を受賞。おまけにアマナットはバラク・オバマ大統領(当時)にホワイトハウスに招かれ「サナは実在のスーパーヒーローだ」と熱烈な歓迎を受けている。本作は、ビジネスとしての成功、良質なSFとしての高い評価、社会的な影響力の全てを得たのだ。