アレクサンドロス大王がやったこと

 ペルシャ戦争を経たギリシャ人は、オリエントの豊かさに強い衝撃を受けました。

 これは後世に十字軍が受けたショックとほぼ同じものです。

 「文化文明が進んでいる。農産物は豊かで、食べ物はおいしい。女性も美しい」、そういう高度な文明社会に出会ったショックです。

 こうして始まったヘレニズム時代は、アレクサンドロス大王の東征でさらに加速されました。

 アレクサンドロス大王は、ペルシャからインダス川流域まで、自らの帝国を拡大していく過程で、数多くの都市を建設しました。

 その数は総数では70都市を超えた、ともいわれています。

 現代まで痕跡(こんせき)が残っている都市だけでも、10都市以上あります。

 インダス川の西岸や、中央アジアのサマルカンドなど東北部にも残っています。

 それらの都市のすべては、アレクサンドリアと名づけられました。

 今日まで残る代表的な存在は、エジプトのアレクサンドリアです。

 アレクサンドロス大王は、それらの都市にギリシャ人を住まわせました。

 つまり、アレクサンドロスの東征によってギリシャ本土の人口が減少したのです。

 これがギリシャの衰退に拍車をかけました。

 ギリシャ人は、現代でも船乗りが多く、世界中で活躍しています。

 彼らはもともとフェニキア人と、東地中海の制海権を争っていた民族です。

 閉じこもるよりも外の世界へ雄飛する人々です。

 ポリスの繁栄が過去の栄光となっていたギリシャ半島を出て、東方の新興都市へ向かった若者も多かったことでしょう。

 そうなると、ギリシャのポリスはどうなるか。

 みんな小さな地方都市となり、プラトンとアリストテレスの大学が頑張っていたアテナイは、静かな学園都市になっていたかもしれません。