スポーツで「良いゲーム」が成立するには「良い敗者」が欠かせない理由スポーツにおける良いゲームは「良い敗者」がいるかこそ成り立つ。日本スポーツマンシップ協会の代表が語る

今回の北京五輪でも多くの印象的なシーンがあった。スノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢選手も、その1人と言える。縦に3回転、横に4回転する大技「トリプルコーク1440」を決めて、金メダルを獲得した。また、試合後に今大会で引退するショーン・ホワイト選手と抱き合ったことも印象的だった。過去、五輪で金メダルを3回獲得している王者が試合後に駆け寄り、熱く言葉を掛け合った。最後の滑りで勝利できず、「トリプルコーク1440」に挑戦していて諦めた過去もあるショーンだが、「歩夢の時代が来る」と言わんばかりに、その滑りを認める格好となった。

「グッドルーザーがいるから成り立つのがグッドゲーム」と語るのは、日本スポーツマンシップ協会代表理事会長であり、千葉商科大学サービス創造学部准教授の中村聡宏氏だ。グッドゲームの定義とは何か。スポーツマンシップについて掘り下げた第1回に続き、中村氏に聞いた。(取材・文・撮影/編集者・メディアプロデューサー 上沼祐樹)

敗者にしかわからない
「グッドルーザー」の姿勢

 勝利を目指して戦うのがスポーツですが、一方で必ず敗者が出るのもスポーツの仕組みですよね。敗者がいるからこそ、勝者が誕生する。勝利することを皆が目指して、一生懸命に工夫する。そのプロセスに価値があるからこそ、勝者と敗者が平等に評価されるのです。

 ただ、時に勝つことだけが評価されてしまうことがありますよね。そうなると、トーナメント戦で優勝したチームしか評価されない。後は全部敗者となる。勝ちにしか価値がなければ、スポーツという取り組みは非常にリスキーなものになりますよね。

 負けるということは、追求したプロセスが否定されたことになります。それは非常に悔しいこと。ただ、それでいて不貞腐れてしまうのはもったいないことです。人生も思い通りにいくことばかりではないですから。

「グッドルーザー」という言葉があります。思い通りにならなかったときに、自分をどのようにコントロールするかというもの。勝ち負けがはっきりするスポーツでは、多くの人が負けを認めなければいけません。悔しさを感じるのは大事ですし、その上で勝者を称えたり、負けたことを反省して次のステップにどう活かしていくかを分析したりするのです。