苦しみの沼でぐるぐるしているのは、いい傾向

もちろん、私自身も同じように「苦しみの沼」にどっぷりと浸かっていたことがある。

ただ自分の思いを言語化できるだけで満足だったのが、「いいね!」じゃ物足りなくなり、1000PVでは物足りなくなり、1万PVでも物足りなくなり。とにかくバズを起こしたくて、どんなネタを書けば読者に読まれるのか、承認してもらえるのかとそればかり考えて。

承認欲求の権化になったみたいな気がしてそこで「もうやめよう、こんなことのために書くことを始めたんじゃない」と思って自由気ままに書こうとするんだけど、いざ読者の存在を忘れようと思っても忘れられない。いつも脳裏には「いいね!」がチラつく。

むしろ「承認欲求を捨てたい」という気持ちを強く強く抱いているという事実そのものが、私が承認欲求が強いことの証明になっている気がしてさらにモヤモヤする。結局のところ、読者のことなんか気にせず自由に思いを吐露するアーティストタイプになったほうが、「いいね!」がもらえるんじゃないかとか、そんな邪まな考えが脳裏を横切ったりして。うあー、やっぱり私認められたい人なんじゃん!! とか思ったり。

まあ、そんなわけでとにかく私も長年「苦しみの沼」の住人だったわけだが、その経験からも、周りの人たちを見ていても思うのは、そこを超えた先にしか「本当」の楽しさ・面白さはない、ということだ。

ただ自分勝手に表現しているだけじゃなくて、きちんと読者のことも考えて、「他人の目線」を気にしたうえで、かつ、自分の熱狂を全力で出せる。

その場所に行くには、やっぱり苦しみの沼を突破するしかない。

ただ苦しんでもがいて感情が爆発しそうになっているということは、それだけ自分が真剣に向き合っている証拠だ。それだけ熱量をもって取り組んでいる証拠だ。

だから、苦しみの沼でぐるぐるしているというのは、いい傾向なのだ。

ただ、やっぱりそれをうまくイメージできなくて、途中で諦めてしまう人も多い。

そういうのをたくさん見ていると、みんなに言いたくなるのだ、

なんでいちばんもったいないところで諦めるんやーーーー!!!

と。

むしろ、そのぐるぐると苦しんでいる期間に溜め込んでいた「なにくそ根性」や「あんなやつより私のほうがうまいのに!!」という怨念こそが次なる創作のエネルギーになるパターンも多い。それなのに、いま目の前の「楽しさ」だけにとらわれて、本当の楽しさに辿り着けずにやめてしまう超絶もったいないケースが多すぎる。

「夜明け前がいちばん暗い」じゃないけど、やっぱり報われる前の苦しみって必須なんじゃないかと思う。というか、そう思ってないとやってられないよね。この世の中って理不尽なこと多すぎるしさ。

私も悔しすぎてハンカチをビリビリに破いた夜が1日じゃないし、あまりの理不尽さに憤死しそうになったこともめちゃくちゃあるけれど、でも、そんなことばっかり起きてるとやってらんないから、「私は大器晩成型だから大丈夫」といつも言い聞かせている。「まだ映画ははじまったばかりなの、今のうちに成功しちゃったらつまんないでしょオホホ」とか何度も何度も言い聞かせてすり込んでメンタルを保っている。

苦しみのない楽しさは、全部ビギナーズラックだ。

それくらいの心算でいたほうが発見があるし、やりがいがある。

そうやってうまいこと自分を騙しながら努力し続けるのも、「才能」のひとつ、と言っていいんじゃないかと最近思っている。

苦しみのない楽しさは、全部ビギナーズラックだ川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。