荘子の思想は実存主義的
荘子(BC369頃-BC286頃)は、ほぼ孟子(BC372頃-BC289頃)と同世代の人です。
彼は孟子や荀子が生(き)まじめに、教育や理想の政治について語っているとき、平然と無為自然を説きました。
人間はもっと心をのびのびと自由にして、遊んでいればいいのだ。
万物の絶対性に従って生きればいいのだ。
人間はいいかげんな動物なのだから、自然に従って無為に生きればいいのだよ。
つまり、逍遙遊(しょうようゆう)という考え方です。
混沌、無用の用、胡蝶(こちょう)の夢、大鵬などは荘子が好んで使った言葉です。
荘子の発想は、実存主義的でした。
自分にとってただ一つ確実な存在は、自分自身なのだと考えました。
俗世間のことなどはすべて無視せよ、という姿勢です。
しかし、俗世間を無視して自由に生きることができるのは有産階級の特権であって、普通の民衆には土台無理な考え方です。
荘子は政治家や実業家のように、現実のソロバンばかりを考え、あくせくして働くのはゴメンだ、と考えました。
こういう少し斜に構えた発想は、知識人好みですよね。
このようにして荘子の哲学は、中国社会においてニッチな存在となり、特有のポジションを取っていきます。
荘子の思想が大流行するのは3世紀後半、三国時代の終わりに魏から帝位を受け継いだ晋(しん)の時代でした。