億万長者・稲盛和夫が出家して気づいた「500円玉のありがたさ」1997年に仏門入りした稲盛和夫氏(京都・八幡市の臨済宗妙心寺派円福寺) Photo:JIJI

「経営の神様」と称される稲盛和夫氏が神様たるゆえんの一つに、稲盛氏独自の「フィロソフィ(企業哲学)」がある。それに大きな影響を与えたのが、出家の経験だ。起業家、経営者として成功を収めたことで億万長者となった稲盛氏だが、仏門に入って修行していたときに胸を打ったのは、「500円玉のありがたさ」だったという。(イトモス研究所所長 小倉健一)

経営の神様・稲盛和夫氏の
「フィロソフィ」に影響を与えた出家経験

 2021年11月、瀬戸内寂聴氏が亡くなった。享年99歳。奔放な恋愛関係や、デビュー当初の作風とは対照的に思える、1973年の出家が、晩年の彼女のイメージを決定づけている。

「宗教心が薄い」と言われる日本人だが、それでも「出家した人」「お坊さん」「尼僧」の話を重んじる精神は残っているといえる。

 出家や得度は世俗から離れるものであり、ましてカネもうけなどとは結び付かない、むしろ正反対にあるものようにさえ思える。

 多大なる功績を残したことから「経営の神様」とも呼ばれる稲盛和夫氏は、京セラの名誉会長だった1997年、臨済宗妙心寺派の円福寺で得度し、修行を行った。このことが、自身の経営においてこだわり続けた「フィロソフィ(企業哲学)」の構築に大きな影響を与えたという。

 若い頃から「仏門に入って勉強したい」と考えていたという稲盛氏は、得度して剃髪し、読経などの通過儀礼を行った。そのことによって、「理屈の上で理解したいと考えていたことが、本当に宗教を持った、宗教を信じた、宗教に帰依した、そのようなことを実感として持てるようになった」と述べている。

 その時のエピソードで特にビジネスパーソンに重要なのは、稲盛氏が「托鉢(たくはつ)」を経験した時のものだ。経営の神様のフィロソフィの礎となったのは、「500円のありがたみ」だった。