スシローが一軒のすし屋から日本一になれた理由、「職人が生みファンドが育てた」写真はイメージです Photo:PIXTA

スシローの創業者の清水義雄の実弟、豊は保有していたスシロー株を黙って、牛丼チェーンの「すき家」を傘下に持つゼンショーに売却した(前回記事参照)。この予期せぬ身内の反乱で、外食のライバルが突如として、スシローの大株主として名乗りを上げることになった。そこでスシローが買収防衛のために力を借りたのが投資ファンドのユニゾン・キャピタル(以下、ユニゾン)だった。ユニゾンが大株主になり、独立路線を守れた一方で、スシローは職人経営では見えなかった「成長痛」とも言える課題と正面から向き合うことになる。(名古屋外国語大学教授 小野展克)

ゼンショーと対立、独立路線を選択

 スシロー創業者の実弟の「反乱」で、一躍、あきんどスシローの筆頭株主になったゼンショーは、スシローとかっぱ寿司の合併を画策していたとされる。当時は、回転ずしチェーンの売上高トップはかっぱ寿司、2位がスシローだった。ゼンショーはかっぱ寿司を運営するカッパ・クリエイトの大株主でもあり、「1位、2位連合」で回転ずしチェーンの圧倒的な覇権を握る狙いがあったと業界の誰もが感じていた。

 スシローは、何度もゼンショーと交渉を持ったが、スシロー側が、ネタの品質にこだわる「原価率50%」、セントラルキッチンを持たずに鮮度を重視する「店内調理」を譲らない姿勢を貫くと、ゼンショー側と条件が折り合わなくなったという。

 ここで、スシローはゼンショーとたもとを分かち、「独立路線」を歩むことを決める。

 スシローが金融機関に相談して、独立路線を実現するためのパートナーとして選んだのは投資ファンドのユニゾンだった。

 ユニゾンは日本屈指の再生ファンドで、東ハトやカネボウの再生で実績を上げていた。

 まずスシローとユニゾンは、親密な水産会社の極洋も交えた戦力的な業務提携を結んだ。さらに2007年8月に「2012年に売上高を倍増し、1000億円にする」ことを柱にした5カ年計画を打ち出す。そして、スシローはユニゾンに対して第三者割当増資(特定の第三者に新株を引き受ける権利を付与して、新株を引き受けさせる増資)を実施した。この増資で、ゼンショーのスシロー株の保有比率は大きく下がった。

 さらに2008年9月には、ユニゾンがスシロー株の公開買い付け(TOB)を実施、スシローは上場を廃止。ゼンショーも合意の上で保有株式を手放した。

 ユニゾンの力業でスシローは「ゼンショー支配」から逃れた。しかし、その代償として、ユニゾンから容赦ない「資本の論理」を突き付けられることになる。