ウクライナなどの場合は国内市場だけでは立ち行かない事情もあり、グローバル化に踏み切らざるを得ませんでした。自社プロダクトを開発するにしても、国内向けではなく、はじめからヨーロッパ、ひいては米国や日本などに対してサービスを拡大していくことを選択することになったのです。
ウクライナでのグローバル化は、アウトソースで国外企業から開発を請け負うことにもつながりました。このことは、今となっては非常に重要だったと考えられます。私が著書『ソフトウェア・ファースト』(日経BP社刊)でも述べているように、ITの本質はソフトウェアです。中でも実際にプログラミングにより機能を実装するという部分には、高い価値があります。彼らはアウトソースを引き受けることによって、否応なしに実装力がついたはずです。
一方、日本企業では上流工程の方を重視してアウトソースする側へ回り、現場で手を動かして開発する部分はどちらかといえば担ってきませんでした。このため、いざ実装力で大きな差別化が可能な時代になったときに、実装を担う人材が不足する、あるいは社会的に実装への評価が非常に低いままといったことが起きています。
ウクライナなどの国ではドラスティックな変化に適応するかたちで、IT教育が充実し、卒業生はIT企業で他産業より高い給料を得られるようになり、さらにグローバル向けの仕事ではより待遇が良くなる、といった好循環が生まれました。その結果、IT産業のグローバルでの競争力が高まっています。日本ではその好循環が働かなかったため、IT産業への転換も進まず、グローバルでの競争力低下につながっているように見受けられます。
「国難を乗り越える武器の1つ」
東欧におけるIT活用の考え方
前述したエストニアが電子国家として進んだ行政サービスを提供するようになったことには、ソ連からの独立とその後も続く地政学的なリスクも無関係ではないと思います。「もし物理的に国が奪われたとしても、オンライン的に国を維持する」というのは、日本ではなかなか出てこない発想でしょう。
また選挙などの国政運営にあたって不正が多いことも、電子投票などで高度な電子化が進む原動力となっています。エストニアにおける電子投票導入のきっかけの1つには、2004年に行われたウクライナ大統領選挙、後に言う「オレンジ革命」があります。この選挙では、親ロシア派とされるヤヌコーヴィチ陣営で不正疑惑があり、再投票が行われました。結果として、対立候補のユシチェンコ氏が大統領となっています。エストニアではこのことを教訓に、「歴史を改ざんさせない」との思いを込めて電子投票への取り組みを続けています。