「マスク着用」はランドセルに通ずる!?
奇妙な文化は継続される

 ランドセルはマスクと同じく、「不可解な日本人」を象徴するアイテムだった。

 幼い子どもにあんな重いカバンを背負わせる国は日本だけだ。発育にも悪影響と言われている。近年も、子どもが体格に合わないランドセルを背負うことで心身に支障をきたす「ランドセル症候群」が指摘されている。

 子どもにも悪影響で値段も高いので家計の負担にもなる。外国人からは「日本人がランドセルに固執するのは、小さいうちから我慢を体に叩き込んでるのでは」なんて奇異の目で見られていた。

 日本国内でも「やめるべき」というムーブメントが1960年代から盛り上がった。「重いランドセル論争 先生の8割は“廃止したい” 親は3人に1人が使わせたい」(読売新聞1971年5月25日)なんて感じでいいところまで行ったが、「ランドセルは世界に誇る日本の伝統!」「この重いかばんを背負うことで体力が養われる」なんて感じで推進派が巻き返して、現在にいたる。

 しかし、継続は力なりだ。日本のアニメが世界に人気になるのと伴って、登場人物が背負っているあの奇妙なかばんは何?ということで注目が集まる。そしてファッションセンスのある大人たちが注目し、近年では外国人観光客が、日本土産としてランドセルを買い求めることにまでなったのだ。

 このように「まったく狙っていないのにクールな日本文化に格上げされた」というケースが、日本には山ほどある。マンホールや自販機、コンビニパンなんかもそうだ。筆者はうまくいけば、「マスク」もこれらと同じ流れに乗れるのではないかと考えている。

 つまり、今は外国人から「不可解」「同調圧力」など揶揄されても、開き直って続けていれば、いずれは「日本のマスク文化はクール」なんて感じで、インバウンドの目玉として評価される日がくるかもしれないのだ。

 ばかばかしいと思うかもしれない。しかし、常識的で理性的なことだけをしていても、日本の冷え切ったインバウンドはちょっとやそっとでは回復しない。

 日本人はこれまでも「どう考えても合理的じゃないからやめよう」ということを、ほとんどやめることができずここまでやってきた。マスクも恐らく同じ道をたどるだろう。ただ、「同調圧力」だなんて嘆いていてもしょうがない。この先もマスクをつけ続けなければいけないのなら、逆に開き直って、新しいビジネスのネタにすべきだ。

「外国人が理解に苦しむ日本人の奇妙さ」を観光資源としてアピールすることこそが、インバウンド復活のカギではないかと思うのは、筆者だけだろうか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)