わたしは「ナショナリズム」を、現代における一種の宗教だと考えています。

 ナショナリズムは、日本語では「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳されています。自国の文化や歴史、政治体制を誇り、国内的にはその統一を図り、国外的にはその独立性を維持し強化しようとする動きです。一口にナショナリズムと言っても、その表れ方は、各国における歴史や慣習、政策などによって多種多様です。

 つい先ごろまで、世界はグローバル化が進み、国家間のボーダーラインが曖昧になってきていました。おのずと、自国に対する国民の忠誠心も薄らいでいました。

 ところが近年は、その反動として、ナショナリズムを煽ることで国家への求心力を高めようとする動きが、各国で起きています。とくに新型コロナウイルスの蔓延やウクライナ戦争によって、「自国優先主義」はより鮮明になりました。

 国内でも、新型コロナ禍による不景気や失業で、国民には不平不満が溜まっています。国は、その不平不満が政府に向けられないよう、外交問題や領土問題など「国外」の問題に目を向けさせることで、国民のナショナリズムの意識を煽ろうとします。

 このようにナショナリズムは、国家から意図的に操作されたり強められたりすることがあります。政府の外交政策や領土問題に関するニュースを見て、われわれはそれと気づかず無意識的に、ナショナリズムの意識を強めているのです。

 現在、世界各国で起きているナショナリズムの高まりは、とても危険なことだとわたしは考えています。

 ですからわれわれは、ナショナリズムという現代の宗教に完全に洗脳されてしまわないように、“マクロな視座”でこの現象をとらえ、突き放して見つめる必要があります。

ナショナリズムがわかると、社会のカラクリが見えてくる

 アーネスト・ゲルナー著『民族とナショナリズム』(加藤節 監訳、岩波書店、2000年)は、現代に蔓延するナショナリズムという現象を理解するために、マクロな視座を与えてくれる格好のテキストです。

 アーネスト・ゲルナーは、1925年にフランスのパリでユダヤ人の家庭に生まれ、チェコスロバキアのプラハで育ちました。ナチス・ドイツのプラハ占領で、1939年に家族とともにイギリスに移住し、オックスフォード大学を卒業します。1962年からロンドン大学の哲学教授、1984年からケンブリッジ大学の社会人類学教授を勤めるなど、イギリスの哲学者、社会人類学者、歴史学者として、第一線で活躍した人です。