正式な路線名はどちらも「総武本線」だ。東京駅を発着し、錦糸町~千葉間で快速運転を行う列車と、「成田エクスプレス」や「しおさい」などの特急列車が走るのが総武快速線。各駅停車が走るのも総武本線だが、御茶ノ水~錦糸町間は「支線」の扱いとなっている。

 各駅停車は始発・終電を除く全列車が御茶ノ水から中央線に乗り入れているため「中央線・総武線各駅停車」と一体的に呼ばれる。両路線の直通運転は90年近い歴史を持っていることもあり、中央線区間を走る列車であっても、オレンジの快速電車=中央線、黄色の各駅停車=総武線と呼び分けている人も少なくない。

 では1972年に「快速線」が開業する以前の総武線はどうなっていたかといえば、同じ線路を各駅停車と快速、急行、貨物列車が共有していた。各駅停車と快速電車は御茶ノ水で中央線に乗り入れていたが、急行列車の多くは両国駅から出発していた。

 両国駅とその利用者には失礼な話だが、両国から出発する列車なんて中途半端すぎると思うかもしれない。だが、その痕跡は今も残っており、両国駅の2番線側から見下ろすと地上に使われていないホームの存在を確認できる(厳密には今も臨時列車や回送列車が使用している)。なぜ両国に総武線の拠点があったのか。それは歴史が深く関わっている。

千葉県内の有力者が結集し
私鉄の総武鉄道を設立

 総武線が開業したのは1894年のこと。東京から東西南北に伸びる主要路線では、東海道線が1872年、東北線は1883年、中央線は1889年に開業しているので、総武線は最も遅い開業だったことになる。

 これは千葉方面には荒川、江戸川、利根川など河川が多く、古くから舟運が発達しており、鉄道の必要性が相対的に低かったためだ。しかし鉄道を求める声は次第に高まり、県内の有力者が結集して私鉄の総武鉄道を設立。1894年7月に市川~佐倉間、同年12月に本所(1915年に錦糸町に改称)~市川間を開業し、1904年には本所~両国橋(1931年に両国に改称)間を延伸し、両国橋をターミナルとした。