起業家やVCなど、スタートアップ関係者のバイブルとなっている『起業のファイナンス』『起業のエクイティ・ファイナンス』の著者・磯崎哲也氏が、スタートアップ経営者に最も必要な資質としてあげたのは、「vulnerability」という言葉でした。
『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』の発売を記念し、その詳細を解説してもらいます。
(この記事は、『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』の本文の一部を改変したものです。)
フェムトパートナーズ株式会社 ゼネラルパートナー
1984年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。長銀総合研究所で、経営戦略・新規事業・システム等の経営コンサルタント、インターネット産業のアナリストとして勤務した後、1998年スタートアップの世界に入り、カブドットコム証券株式会社社外取締役、株式会社ミクシィ社外監査役、中央大学法科大学院兼任講師等を歴任。2012年からフェムトでスタートアップへの投資を開始。公認会計士、税理士、システム監査技術者。著書は他に『起業のファイナンス』(日本実業出版社)。[Photo: 著者提供]
何がスタートアップに人を惹きつけるのか?
仮に、3人でスタートアップを始め、この会社が数年で1000人規模の会社にまで成長するポテンシャルがあるとします。この場合、成功した未来の会社のほとんどは、「これから採用する」人によって構成されていることになります。
そうした、これから採用される人を惹きつける力は、一体何なのでしょうか?
ファイナンスの本なので「お金」という答えを期待するかもしれませんが、多くの場合、就職や転職を考えている人が惹きつけられる直接の要因は「お金」ではなく、「その会社で自分の成長が期待できるか」「チャレンジしがいがある仕事か?」「経営陣が尊敬できて、新しいことのチャレンジに理解があるか」等です。しかし、だからといって「会社の目的が高尚なのだから、低賃金で働け」と言って人が集まるわけはありません。会社を成長させる最大の要因は「人」であり、超優秀な人を採用するには、超優秀な人に見合った「リターン」を用意することが重要です。
仮に、「この人なら、自分でスタートアップを設立して、上場してもおかしくない」というクラスの人を執行役員として採用するなら、最低でも数十億円規模のリターンがないとフェアではないはずです。しかし、その人に1%のストックオプションが付与され、会社が将来、数千億円の価値になれば、そのリターンは現実のものになるのです。
スタートアップ経営者に最も必要な資質は「vulnerability」
スタートアップ経営者についても同様で、単に「カネ」のことだけを考えている経営者が成功したのをあまり見たことがないのですが、それは、スタートアップを成長させる最大の要因は「優秀な人をいかに巻き込んで、組織を大きくしていくか」ということだからです。
成長する企業と成長しない企業を多数見てきて感じるのは、創業者が「vulnerable」*1であるかどうかが非常に大きく作用するということです。それは「硬い殻に入って自分の心を守ろうとする」のではなく、「傷つく可能性がありながら自ら心を開いて、多くの優秀な人と繋がろうとする」姿勢です。
「vulnerability」で有名なのが、TEDで最も再生回数が多いビデオの1つ、ヒューストン大学ソーシャルワーク大学院の研究者であるBrené Brown博士の「The power of vulnerability」という講演です。
このビデオの最も重要なメッセージは、「vulnerabilityは、弱さではなく、勇気なのだ」「傷つくことを恐れて、その感覚を麻痺させてしまうと、喜びや感謝、幸せといった他の感覚も麻痺させなければならない。選択的にイヤな感情だけを麻痺させることはできない」ということかと思います。
私がvulnerableという言葉を最初に知ったのは、金子郁容氏の1992年の著書『ボランティア―もうひとつの情報社会』(岩波新書)という本です。当時は、なぜ、ボランティアにおいてvulnerabilityが周りを巻き込んでいく力になるのか、今ひとつ腹落ちしなかったのですし、「ボランティア」と「スタートアップ」というのは、真逆の性質のものに思えるかもしれませんが、実はまったく同じ動機づけで動くものだということだと思います。
人は、自分が最低最悪な人間で能力もないと思いながら企業の経営者となることなんてできないと思います。根拠はなくても「自分はうまくいく!」と思えることは重要です。
このため逆に、何かがうまくいかないときに、「失敗したのは私のせいじゃない」「私は正しかった」「環境が想定していたものと違った」「やってみなきゃわかんないのがスタートアップだ」「失敗したのは部下の○○のせいだ」「組んだ提携先が悪かった」といったことを考えて、それが顔や態度や言葉にも出てしまいがちでもあります。人間なので、多少、そういうことがあるのは仕方がないです。
しかし、長年スタートアップに関わっていますが、「悪いのはオマエらで、私は悪くない」というリーダーのもとで、役員や従業員が大活躍するのはあまり見たことがないです。
つまり、そうした硬い殻を装備して自分の心を守ろうとする態度は、結果として自分以外の関係者との関係を悪化させてしまいます。
スタートアップの成長は、他の役員や従業員、顧客、投資家などとの「つながり」で成り立っています。その「つながり」をトップ自らが断ち切るのは、企業の価値を大きく損なうことなのです。
事業や数字より「組織構築」にフォーカスせよ
スタートアップの成長は、採用する人、特にその優秀さにかかっています。システムや営業、PRなど、それぞれの領域で「日本一、世界一の人」が採れれば、非常に高い確率で成功することができますし、1000人規模でないとできない事業を目指すなら、その1000人を率いる能力がある優秀な人材を採用する必要があるはずです。ところが、多くの経営者は「自分たち」(「今いる」メンバー)が頑張ったり成長したりすることで目標を達成しようとしてしまうのです。
今いる従業員を大事にするというのは「いいこと」ですし、従業員の成長を促すのも、もちろん悪いことではありません。しかし、人ひとりひとりが成長するスピードは、スタートアップに必要な成長のスピードよりは一般的にはるかに遅いのです。このためたとえば、SaaSの営業体制を構築するなら、「起業時に学生だった、社会人経験がなく営業もやったことがないメンバーが見様見真似で営業資料を作ったりプレゼンしたりする」よりも、「SaaSの大手企業でトップ営業だったような人を連れてくる」ほうが早いはずです。でも、なかなかそうした戦略的な採用はできません。「あるべき未来像から逆算」して、採用する人を決めるというのは、強く意識してやらないとできないことで、放っておくと、「現在の延長」で未来を考えてしまいます。
また、人は、「自分より優秀な人をコントロールし切れるだろうか?」「オレのほうがバカに見えないか?」「部下が、オレよりそちらの人に懐いたら、オレの居場所がなくなるんじゃないか?」といった本能的な恐怖があるので、「超優秀な人」ではなく、「使いやすそう」な「問題を起こしそうにない」「そこそこの」人を採ってしまいがちです。
またこれは、「勇気」「自信」とも大きく関係します。「どうせそこそこの人しか、うちには来てくれないだろう」という頭がどこかにあると、それが態度にも出て、周囲もそういう認識になっていきます。
逆に、優秀な人を大量に呼び込んで組織としてまとめていけるスタートアップは、間違いなく成長します。
「事業」を作ろう、とか、そのために「売上」「利益」「顧客数」「MRR」といったKPIを追うことは、スタートアップの経営者なら誰しもやるのですが、それだけしかやらないとしたら、それは「経営者」の仕事ではなくプロジェクト/プロダクトマネジャー(プロマネ/PM)レベルの仕事でしかありません。CEOの仕事は、「事業」を包含する「経営」の仕事であり、企業価値を上げるために、どのような戦略を採用し、どのような人を採用し、それを達成するためには、会社をどのように見せて、どのようなオフィスにし、どういう制度を入れたらみんなが働きやすくなって、そのためにはどういう資金が必要で、それをどういった投資家から調達するか、といったことを考えないといけません。それができないなら、その創業者はCEO/COO向きではないので、そういう組織を作れる経験者を採用してCEO/COOにすべきです。
従来の多くの日本の会社では、もし自分より優秀な人を連れてきたら、自分は「用ずみ」になって居場所がなくなってしまいます。しかし、スタートアップの役職員は株式やストックオプションを持っています。自分よりも優秀な人が業務を担当することで、飛躍的に企業価値が上がるなら、その保有する株式やストックオプションの価値も上がって、少なくとも経済的には、そのほうが有利になります。
「私はカネのために働いているんじゃない」というのは、聞こえはいいですが、実際には、それよりもっと醜い、「自分がお山の大将でいたい」「自分のほうが昔からこの会社にいるので、自分のほうがエラくて当然だ」といった「エゴ」や「煩悩」で動いていることが多いのです。そんな個人の小さな欲望のために、未来ある会社の企業価値が上がらず、世界に対して大きな貢献ができないとしたら、それは非常に大きな社会的損失です。「自分は退いても組織のためになることを考えることで、その人自身にも大きな経済的メリットが出る」というエクイティのしくみは、世界の巨大テック系企業を産んできた要因ではないかと思います。
「人」が決めない評価
エクイティのインセンティブの、もう1つの大きな特徴は、通常のボーナスのように、「事後」に「人間が(上司等が)」評価を決めるのではなく、「事前」に付与された比率にしたがって、「結果が」決めるというところではないかと思います。
従来型の会社に勤めていた人は、「上司が評価しないなんてことをしたら、部下が上司のいうことを聞かなくなる」「何もしないのに結果にタダ乗りするフリーライダーが発生する」「目先の儲けに走るゲスいやつが儲かるだけだ」といった、本能的な恐怖を覚える人も多いと思います。
この方法は、結果に対してシンプルなリターンがあるという意味では一見、「歩合制のセールスマン」と同じようなしくみに見えるかもしれませんが、よく考えてみるとまったく逆のものです。数日や数ヵ月の短期で結果が出るビジネスならともかく、スタートアップでは、上場やM&A等で株式等を売却できるのは通常、投資してから何年も先です。「短絡的な」「目先のこと」どころか、その逆に、長期的かつ本質的なことを考えないと、企業価値を上げる貢献などできるわけはありません。
もちろん、何もしない*2フリーライダーにも決まった比率の配分が行われてしまうといった可能性がないとは言いませんが、こうした企業価値の向上に比例したインセンティブを採用したシリコンバレーのスタートアップやベンチャーキャピタルは、数千億円、数十兆円といった企業価値の会社を生み出していますので、マクロ的長期的にならして考えると、そうしたデメリットをはるかに上回るメリットがあるということじゃないかと思います。*3
*3 VCファンドのキャリー分配のしくみも、企業側の創業者株式やストックオプションなども、「人間が」「事後的に」人の評価を決めるのとは逆で、「結果が(天が/神が)」決めるしくみ、と言えます。
スタートアップのように、めまぐるしく環境が変わることで、最近採用した人に仕事をまかせる場合、結果を完全に予測するのが困難なのはもちろん、得られた結果がどのように企業価値に結びついたかを人が評価できるのかどうかも、私は懐疑的です。
つまり、もちろん「誰が何件、いくらの契約をとってきたか」といったことはわかりやすいですが、一見仕事で成果を出していない、オフィスのムードをつくったり、落ち込んでいる人や迷っている人をはげましたりしている人が、どう企業価値に貢献したかというのは、非常にわかりにくい。そんな人にも、結果として会社がうまくいって企業価値が上がれば、少なくとも経済的なリターンは入ってくるのが、株式やストックオプションを保有する効果です。
言われてないこともやる。人が見ていないこともやる。上司に評価されなくても、組織全体のためになることをやる。放っておいてもそういう動きをしてくれることは期待薄なので、そういう組織風土を作ることが重要ですが、それを経済的にバックアップするのが、株式であり、ストックオプションということになります(「ストックオプションを導入すれば、そうした組織風土が自然に醸成される」わけではありませんので、お間違えなきよう)。