世の中のさまざまなしがらみから抜け出して「幸せな人生」を歩むために必要なものはなんだろう?
それは、「自信」だ。『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)では、フランスの高校生から大絶賛される哲学教師が、「本当の自信の育て方」を教えてくれる。本書からその一部を特別に紹介しよう。
「決断」と「選択」の違い
私たちは仕事の場で、実際には選択の問題でしかないものを、決断と呼ぶことがある。
もし常識や客観的データ、習慣、規則といったものに従うだけで答えがわかるのなら、それは決断ではない。決断とは、どれだけ頭を使って考えても、まだ不確実な何かが残っているときに、何かを選ぶことだからだ。
正解がわからない状況で、何かを選び取る。それが、決断(decide)だ。この言葉は、ラテン語で「切り落とす」という意味の「decidere」に由来している。
つまり、正解がわからないなかで、ある可能性を捨てて、他の可能性を取るということを指している。
これは、簡単なことではない。選択(choose)は合理的に答えを導けるので楽だが、決断するときはそうはいかない。私たちが苦しむのは、人生から決断を迫られたときに、選択をしたいと思うからだ。
不確実性を受け入れる価値
オーストリア出身の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインも、「よりよく生きるためには、よく考え、複数の概念の区別を明確にするだけで十分なことがある」と述べている。
選択と決断の違いを知ることは、レストランでの注文のような小さなことから、転職や恋愛などの大きなことまで、私たちが生きるうえで大いに役立つものになる。
レストランでメニューを見ているとき、ローストチキンとポークショルダーのどちらを選ぶべきかについて完璧な答えを出そうと考え込んでいると、いくら時間があっても足りなくなるし、同席者にも迷惑をかけてしまう。
不確実性を受け入れることで、私たちははじめて迅速に何かを決められるようになる。
なぜ「決断」できないのか
なぜ、決断できないのか? それは、不確実性を十分に受け入れていないからだ。まるで、どこかにあるかもしれないデータ管理アプリが、自分の状況を分析し、将来のビジョンを描き、正しい答えを弾き出してくれるのを待っているかのように。
だが、そんなアプリは存在しない。そして、だからこそ人生は美しい。
誰もが、そのことを忘れがちだ。私たちが不確実性を過度に恐れてしまうのは、もしあらゆるものが確実で予測可能だったら、人生がどれほど退屈なものになるかを忘れているからだ。
もちろん、誰もが間違いを犯すし、その結果として痛みを味わうこともある。だが不確実性は、私たちの人生に彩りを与えてくれるスパイスなのだ。
不確実性を否定してしまえば、私たちは悩みながら自分の声に耳を傾けようとする能力を失ってしまう。逆に、不確実性を受け入れれば、困難な決断を下す勇気が湧いてくる。
「何が起きても、それを受け入れよう」と決意することで、私たちは前向きな気持ちで決断を下せるようになる。どんな決断にも、間違った判断をする可能性がある事実を、冷静に受け入れられるようになる。
自信を高めるには、不確実性を受け入れられるようにマインドを変えなければならない。
不確実性を避けようと頭を働かせてばかりいると、心をオープンにして「何が起きるかわからないこと」を受け入れるのが難しくなる。
ここで役立つのが哲学であり、古来の知恵だ。「空は心の中にある」というスリランカのことわざがある。これは、大きな変化は自分の内側から始まることを意味している。不確実性は常に存在する。これは、私たちには変えることのできない真実だ。しかし、私たちはそれに対する反応を変えることはできる。
不確実性を否定しようとすれば、私たちは疲弊し、苦悩してしまう。
否定をやめ、不確実性と正面から向き合おうとすれば、物事ははるかに楽になる。
「自分の意思」で決断する
「不確実性を受け入れよう」と心を変えることは、「決断の知恵」を獲得するための第一歩になる。
次のステップは、不確実性を積極的に受け入れ、歓迎することだ。そうすると、「自分の決断は正しいものではなかったかもしれない」という考えさえ、好ましいものとして受け止められるようになる。
人生は科学のように正解を導けるものではない。間違った判断をしたとしても、「少なくとも、自分にはリスクを承知で大胆な決断をする勇気があった」と過去を振り返れるようになる。
私たちは、「自分には間違いを起こす可能性があること」に同意すればするほど、自由な存在になれるし、断固とした行動がとれるようになる。
自信を持つことは、自由を恐れず、自由を楽しむ術を学ぶことだ。自分には自由を楽しむ力があると知ることには、特別な喜びがある。
[本記事は『幸せな自信の育て方』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)を抜粋、編集して掲載しています]