なぜ、いつも不安なんだろう? なぜ、人と比べてしまうんだろう?
SNSをひらけば、だれかの幸せそうなようすが映し出される。それに比べて、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと落ち込む。
現代は、こうしたワナにあふれている。それらにとらわれず、世の中のさまざまなしがらみから抜け出して「幸せな人生」を歩むために必要なものはなんだろう?
それは、「自信」だ。『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)では、フランスの高校生から大絶賛される哲学教師が、「本当の自信の育て方」を教えてくれる。本書からその一部を特別に紹介しよう。
哲学者アリストテレスの教え
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、その著書『ニコマコス倫理学』の中で友情についての独特の定義を細かく述べている。
「友人とは、あなたをより良くしてくれる人のことである」
つまり真の友人とは、傍にいると気分が良くなり、人間的に成長させてくれ、知性や感性を高めてくれ、それまでは知らなかった世界や自分自身の新たな側面に目を向けさせてくれる人のことだ、と。
アリストテレスによれば、友人とは「自分が能力を発揮するのを助けてくれる人」である。
私たちは、友人のおかげ(正確には、友人との関係性のおかげ)で、それまではうまく引き出せず、潜在的でしかなかった才能を発揮できるようになる。つまり友情とは、成長や前進の機会なのだ。
だからといって友人は、とてつもなく寛大だったり、私たちの不満に延々と耳を傾けてくれたりする人である必要はない。その人との関係があなた自身やあなたの才能にとって良い作用をもたらし、あなたの成長を促すものであれば、友人とみなせる。
つまり、その人はあなたの人生を支えてくれる意味で、友人と呼べるのだ。
先生や上司、インストラクターも「友人」
この観点からすると、ピアノやダンス、デッサンの先生や、たまたま出会ったスポーツのチャンピオン、職場の上司は、あなたが成長し、進歩する機会を与えてくれる意味で、「友人」だと呼べる。
アリストテレスの考えに従えば、私たちは武道の師範やスポーツのコーチ、ヨガのインストラクターといった、「友人」と呼びうる人たちと時間を過ごすことで、自信を高められる。
それは、単に技術を習得できるからではない。自分の成長を望み、前向きな態度で注目してくれる人と一緒にいることで、人間が関係性の生き物であるという真実をあらためて実感できるからだ。
私たちに自信を与えてくれるのは、ピアノの先生や武道の先生その人自身ではなく、その人との関係性だ。その関係は、プロジェクトの定例の進捗会議のようなものだ。
私たちは毎回、自分が改善するのを目にした相手が満足そうにしているのを感じる。壁にぶつかっているときは、相手が私たちを助けてくれる。相手に、自分の意欲を高めてくれる力があるのを感じる。
メンターの私たちに対する信頼は、少しずつ私たち自身のものになっていく。それが自信の本質であり、人間が物事を学ぶ方法なのだ。