必要なのは
「殺気だった練習の空気」

 具体例として小宮山が挙げるのは「ピリピリとした緊張感」。小宮山の師、石井連藏(1932~2015)が監督だったときの殺気だった練習の雰囲気である。

「鬼の連藏」と呼ばれた石井は早稲田の監督を二度務めている(1958年春~1963年秋、1988年春~1994年秋)。小宮山が薫陶を受けたのは後期。前出の徳武がキャプテンを務めたときは前期、そのとき石井は20代後半の青年監督だった。後期の石井監督の指導も厳しいものだったが、前期はそれをさらに上回る苛烈さだったという。

 名二塁手として日本のプロ野球でも活躍した近藤昭仁(1938~2019)も前期の石井監督時代の主力メンバーだった。当時は雨が降っても練習は通常通り。「もし、〇〇大(次の試合の対戦相手)が雨の中で練習してたらどうするんだ?」というわけである。近藤が石井監督のノックを受ける。グラウンドには水たまりができ、いつもの滑らかなグラブさばきが通用しない。痛烈な打球が水たまりを直撃したとき、近藤は思わず顔をそむけた。その姿勢を石井は激しく叱咤した。すると近藤はグラブを水たまりにたたきつけて抗議したという。近藤は鬼に向かっていった。

 まさに昭和の練習風景。令和の今、この雰囲気が欲しいと小宮山は言う。

「近藤さんは猛練習で自分の体力を超えてしまい、訳が分からなくなったんでしょう。石井さんはそこまで部員の反骨心を引き出した」

 昭和の頃とは違い、今の学生は打たれ弱いという。叱られることに慣れていない。指導者の目指すところは同じでも、令和のアプローチは工夫を要する。