夏合宿はポジション決めの論拠を測る場でもある。今季の早稲田は大幅なコンバートを施した関係で、ポジション争いは苛烈。たとえば「不動の三塁手」といった安寧はないのだった。

 彼らの必死さを、小宮山監督はじっと見ていた。必死さとは執着心だ。

「内野の特守で、捕れないところにノックの打球が飛ぶ。二歩くらい詰めて、あとは腰を立てて見送る者もいる。一方で、ギリギリまで追いかけて飛び付く部員も。結果は一緒でも、執着心の差は明らか。球の扱いを間違えたら死ぬ。そのくらいに思ってくれないと」

 まさに一球入魂である。早稲田大野球部の初代監督を務めた飛田穂洲(1886~1965)が提唱した理念だ。

 執着心は分かりやすい。特にノッカーには手に取るように分かる。打球に飛び付くのは威勢が良いが、はなから捕れないと諦めてのパフォーマンスもある。結局は見送っているのと同じことだ。そういう場面では監督やコーチは練習を止めて叱責し、理由を説明する。

「ポジション争いで評価するのはそこ。打球を追い続ける執着心が、試合でのギリギリの場面で効いてくる」

 1年生がベンチ入りする場合、彼らの執着心が評価されている。それは他の部員にも見え、説得力のある選抜となるのだった。

 早稲田野球の生みの親である飛田穂洲は「学生野球の父」とも呼ばれた。

 飛田は、当時部員だった石井連藏にこう話している。

「野球が下手なのは恥ではない。恥ずかしいのは途中で放り出してしまうことだ。野球は、打てない、捕れないという厚い壁を自分の力で打ち破ることに意義がある。壁にぶつかって、跳ね返されてオデコに大きなコブができたら自分で冷やしてはどうだろう。冷やしながらまた壁にぶつかってはどうだろう。若者はどんな壁でもきっと破れる。そのためにこそ野球があり、白い球があるのだ」

大学最後の夏に挑む早稲田大学野球部4年生の夏合宿集合写真大学最後の夏に挑む早稲田大学野球部4年生の夏合宿集合写真。徳武氏(後列中央)を囲んで

 さあ、開幕だ。

「奇跡は、ほとんど最後に起こる。」

 東京六大学秋季リーグ戦の公式(?)キャッチコピーである。素晴らしい文言ではないか。奇跡を起こすのは選手たちの執着心に他ならない。

 コブを冷やしながら白球を追ってきた彼らの躍動を見に、秋の神宮球場へ行こうじゃないか。(文中敬称略)

※参考文献:『おとぎの村の球(ボール)投げ』石井連藏 三五館

小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年千葉県生まれ。早大4年時には79代主将。90年ドラフト1位でロッテ入団。横浜を経て02年にはニューヨーク・メッツでプレーし、千葉ロッテに復帰して09年引退。野球評論家として活躍する一方で12年より3年間、早大特別コーチを務める。2019年、早大第20代監督就任。