文字通り山積みする諸問題が実はわれわれの周りにはあり、1度ならずこれらの問題はわれわれの耳目に触れたものである。問題の持つ重要性は、増しこそすれ少しも薄れてはいない。だが、問題のうちどれ1つとして解決されたものはなく、中途半端なまま放置され、忘れ去られようとすらしているのだ。ロッキード事件と並ぶ戦後政治史のエポックともいうべき事件を思い出してみればいい。安保問題である。いまやだれしもがこの大事件を過去の歴史上の出来事としてしか認識しようとしない。野党のスローガンとしてもその色は褪あせている。
わずか16年前(1976年当時)に国中を震撼せしめた大騒動がいまではまるで噓のようである。阻止行動に参加した600万人の脳裡の中ですら過去のなにものでもないのではないか。70年の安保継続の際に、驚くほどの静寂の中で日米両国はこの政治的・軍事的関係を再確認した。そして現在にいたる。安保は依然として継続して日米両国の関係では最大の懸案であるにもかかわらず、だれの注意もひかなくなってしまっている。これはどういうことなのか。
安保問題は昭和35年当時よりも現在においてこそより重要で困難な問題である。この条約が前提とする国際環境がすっかり変わり、この条約が内包する矛盾が漸次露呈するにつれ、日本外交が選択すべき方策に迷い、恐るべき危機に直面しているからである。
このように、1つの事件にはひと筋縄ではいかない与件があり、因果がまとわりついている。かつては馬鹿の一つ覚えのように安保反対を唱えた知識人の口からひとことの安保反対も聞かれない。転向してしまったのか。過去のものとして忘れ去ってしまったのか。
現在(いま)は現在(いま)という刹那的な認識に立つ限り、高度経済成長以前の時代、ましてや戦前の事情などはいまとはなんの脈絡もない別世界である。時間的に過ぎ去った時代から教訓を引き出して科学的に分析しながら、それを今日に生かすという基本的な態度が要請されるにもかかわらず、これがない。――歴史は常に現代史であるというクローチェの指摘を思い出してみるといい。現在の危機とはまさにこのような初歩的な認識不足の態度の中にこそ胚胎する。高度経済成長という「最も空想的な人間の夢想をも絶する」社会変動を体験したにもかかわらず、われわれ日本人の行動様式は、構造的にも戦前のそれと同型(isomorphic)である。現在にあっても過去にあっても、日本人は依然として社会状況を科学的に分析し、これを有効に制御するという能力に欠けている。これはまことに戦慄すべき事実である。
昭和35年は、高度経済成長政策がスタートした年でもある。メダルの表と裏の関係である。つまり、安保問題をめぐる保守と革新の政治的対立を緩和するものであった。現時点からみれば、戦後31年のちょうど中点がこの年である。政治的・経済的一大転換期というべき時期だったが、もはや一般大衆の念頭から消え去り、記憶されているにしても、それは淡い過去の幻影でしかない。
※本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集して掲載しています。