リチャード・セイラー2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー Photo:Avalon/JIJI

リチャード・セイラ―が2017年にノーベル経済学賞を受賞し、ナッジは広く知られるようになった。ところが、最近はその効果に疑念が出ている。ナッジの使い方について、行動経済学会副会長の川越敏司教授に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部 永吉泰貴)

>>【インタビュー・前編】より続く

ナッジ研究は良い結果だけを誇張
ワクチン接種への誘導効果は疑問

 2017年にリチャード・セイラ―がノーベル経済学賞を受賞し、一躍有名になった行動経済学の「ナッジ」。インタビューに入る前に、日本で高い効果があった事例を紹介しよう。

 市町村には、災害時に自ら避難することが困難な人を「避難行動要支援者」とし、名簿を作成することが義務付けられている。

 つくば市では、名簿の登録者に情報提供の可否に関する通知を郵送していたが、返送率は40%以下にとどまっていた。そこで、返送をお願いする通知の封筒に「○年○月○日までにご返送ください」という期限を入れると、返送率が26.5%向上したという。このように、金銭に頼らず、選択の自由を残してより良い行動の手助けをするのがナッジだ。

 最近では、企業、政府自治体で導入が進んでおり、ナッジに大きな期待が寄せられている。ところが、その根幹であるナッジ研究には不正があったと指摘されているのだ。インタビューでは、研究不正の詳細や、政府や企業がナッジを導入する問題について聞いた。

――ジェイソン・フレハ氏は「行動経済学の死」(詳細はインタビュー前編『ノーベル賞で脚光浴びた行動経済学が「死んだ」とまで批判されている理由』を参照)で、ナッジについても、ほとんど効果がないと指摘しています。

 ナッジは、世間で言われているほどの効果があるかどうかは分かりません。というのも、ナッジについても研究不正に関わる部分が大きいのです。

――どのような不正があったのでしょうか。

 ここ数年、ナッジの研究をまとめて再検討する研究が行われました。アメリカの有名な雑誌に掲載された最新の論文では、良い結果が出た事例だけを誇張して発表していると報告されています。出版バイアスと呼ばれますが、たまたま良い結果が出て発表したケースを取り除くと、ナッジの効果があったと断定できるような研究はほぼなかったようです。

――すると、ナッジはビジネスや政策で使えないのでしょうか。

 ナッジの効果が全くないという意味ではありません。10回やれば10回効果が出るわけではなく、2回か3回かもしれない。その前提で使い方を注意すれば、使い道はあります。

――どのように注意すれば良いのでしょうか。

 行動を変えたい人の金銭的インセンティブについて、よく調べないといけませんよね。金銭的インセンティブを極力使わないで、人の行動を変えようという政策全般のことをナッジと呼んでいるわけです。であれば、金銭的インセンティブが強い人に対してナッジを使っても、効果はありません。

――実際にそのようなケースはありましたか。

 コロナの感染が始まったころは、なかなかワクチンを接種しない若者に、ナッジを使って誘導しようという提案がありました。

 ここで重要なのは、若者がワクチンを接種しないという行動には、実は金銭的インセンティブが含まれているということです。

 一般的に若者の方が給料は低いです。また、ワクチンを接種すると、副反応で3日程度休む可能性が高いことも事前に分かっています。仕事を休んだら給料が下がる人もいます。つまり、若者がワクチン接種を忌避する傾向には、金銭的な問題も含まれているのです。

 金銭的インセンティブが強い人たちに対して、言葉の伝え方を変えたり、ポスターの色を変えたりするナッジを使って誘導しても、効果がないのは当然です。

――他に、ナッジを使う上で注意することはありますか。

 ナッジの効果は、時間の経過に注意しなければいけません。ここでは、京都大学の依田高典先生の調査を紹介します。

 依田先生は節電行動を促すのに、金銭的インセンティブを与える方法とナッジを比較しました。それぞれの効果を長期間にわたって調査すると、興味深い結果が出たのです。

次ページでは、ナッジが時間の経過とともに効果が変化するという研究結果を紹介する。さらに、ナッジの正しい使い道と、政府や企業がナッジに期待し過ぎていると川越教授が主張する理由を語ってもらった。