生きていくうえで、この三毒をまったくゼロにすることは不可能なことです。なぜなら、三毒は、肉体を持った人間が生きていくためにはどうしても必要な心だからです。人間が生物として生きていくうえで必要だからと、自然が本能として与えてくれたものなのです。

 たとえば、自分という存在を守り、維持していくためには、食欲をはじめとする「欲望」や、自分を攻撃する者への「怒り」、さらには自分が思うような状態でないことに対する「不満」などを払拭することはできません。

 しかし、それが過剰になってはいけないのです。

 だからこそ、三毒を完全に除去できないまでも、まずはその毒素を薄めるように努めていかなければならないのです。

 そのための唯一無二の方法と言っていいのが、一生懸命に「働くこと」なのです。

 自分に与えられた仕事に、愚直に、真面目に、地道に、誠実に取り組み続けることで、自然と欲望を抑えることができます。夢中になって仕事に打ち込むことにより、怒りを鎮め、愚痴を慎むこともできるのです。また、そのように日々努めていくことで、自分の人間性も少しずつ向上させていくことができるのです。

 その意味では、「働くこと」は、修行に似ています。実際に、お釈迦様が悟りに至る修行として定めた「六波羅蜜」という六つの修行がありますが、その一つである「精進」とは、まさに懸命に働くことなのです。

 ひたむきに自分の仕事に打ち込み、精魂込めて、倦まずたゆまず努力を重ねていくこと。それがそのまま人格練磨のための「修行」となって、私たちの心を磨き、人間を成長させてくれるのです。そして、そのように「心を高める」ことを通じてこそ、私たちはそれぞれの人生を深く値打ちあるものにすることができるのです。