恩を仇(あだ)で返すという言葉があります。「恩知らず」と「恥知らず」がこの世からいなくなることはなさそうですが、自分がなぜ生きているかを省みることで、我が身を不幸だと感じる心持ちは薄れていくのではないでしょうか。(解説/僧侶 江田智昭)
他者の「恩」とは何かを意識する
日本実業出版社で編集長を務め、近著に『現代人のための仏教説話50』もある窪島一系氏の言葉です。「恩知らず」という言葉は、人を非難する際にいまでもよく使われますが、このようなことを言われてうれしい人はおそらく一人もいないでしょう。
「恩」については、仏教のさまざまな経典の中で触れられています。例えば、唐の般若が訳した『大乗本生心地観経』では、「父母の恩」・「衆生(社会)の恩」・「国王(国家)の恩」・「三宝(仏・法・僧)の恩」の「四恩」が、この世で人が受ける恩として説かれています。
この掲示板を書かれた妙円寺は日蓮宗のお寺です。宗祖の日蓮聖人も、『開目抄』の中で「四恩をしって知恩報恩をほうずべし」とおっしゃっています。これはつまり、「四恩を知って、恩を知り、恩に報ずるべきである」ということです。
「知恩」や「報恩」に関しては日蓮宗以外の多くの宗派でも説かれており、おそらく「恩」について触れていない宗派は存在しません。ですから、「恩」は仏教の中で間違いなく重要な概念だと言えます。
現在の自分は、世界のあらゆるもののおかげ(ご恩)で生かされている。この発想は仏教の「縁起」の教えに由来します。「縁起」とは、「他との関係が縁となって生起すること(因縁生起)」であり、つまり、「すべてのものは相互に依存し合って成立している」ということです。
自分は独立して存在しているのではなく、他のすべてのものに依存しながら、たまたま生かされている。このこと(縁起のおしえ)がしっかり分かっていれば、世界のあらゆるものに対して「おかげさま」という恩を感じ、日常のささいな出来事にも感謝や感動(幸せ)が生まれます。
妙円寺住職の本間大智師は、先日『フッと心を軽くする仏教のことば』(春秋社)という本を上梓され、その中でこのようにおっしゃっていました。
誰もが多くの人に支えられ、数えきれない縁をいただいて生きています。日々の暮らしの中でそのことを忘れがちになりますが、「おかげさまで」の気持ちはけっしてなくさないようにしたいものです。感謝の心を忘れず、本当に大切なものに気づくことは、幸せへの大きな一歩になります。
こうしてみると、「縁起」と「恩(おかげさまの気持ち)」と「幸せ」は一つの線でつながっていると言えます。何となくこのことを感じているかもしれませんが、自分が受けた恩をしっかり理解できているかというと、それは別の話です。
生きるためには食べる必要があります。自分自身の現在の命は、無数の他の命をいただいてきたおかげ(ご恩)で存在しています。しかし、これまで自分のために犠牲になった命をすべて把握している人は間違いなくいないでしょう。結局、私という存在は、自分の頭でいくら想像したところで、全く想像できないほどの恩を受けて生かされているのです。そして、どんな人も自身が受けた恩をほとんど把握すらできていない「恩知らず」な存在なのです。このことを忘れてはなりません。
ですから、「自分は人生の中で到底返しきれないほどの膨大な恩を抱えている」という認識を心の中に持っておくことが大切だと言えます。普段の生活の中ではこのことを忘れてしまいがちですが、常に心に留めておくことができれば、自身を不幸だと思うことはほとんどなくなるのではないでしょうか。
(2022年11月1日13:20 ダイヤモンド社教育情報)