“安全”はコストをかけて手に入れる
ハード文化の日本人が苦手な情報収集

 しかし一般論として、我々日本人の安全に対する意識は、世界標準から見ると必ずしも高くはない。冒頭の「日本人とユダヤ人」の一節ではないが、我々日本人の身の回りでは、それほど身の危険を感じるような出来事は少なかったこともあり、どうしても「安全は何もしなくても、いつでもあるもの」と考えてしまいがちだ。

 海外に住む友人は、「日本の製品やサービスは、安全で安心の象徴と言われるほど信頼性が高いため、日本人の習性として、安全性に対して疑いを持つことが少ない」と指摘していた。そうした面は否めない。かつて、ニューヨークで仕事をしていたとき、メキシコに出張した同僚は、「メキシコでは警察官だって常に安心できるとは限らない」と言って、皆を驚かせたことがあった。

 当時、その発言を一笑に付したものだが、今回のアルジェリアのテロ事件では、プラント内にテロ集団に内通するものがいた疑いがあると報道されている。仮にその報道が正しいとすると、どれほど外部からの侵入に鉄壁の備えをしても、内部からテロリストを導くものがあれば、その防備の効力が大きく低下することは避けられない。

 そうした状況を考えると、我々日本人も、「安全や安心はコストをかけて手に入れるもの」という意識をしっかり持つことが必要だ。ビジネスを拡大するときにも、安全を確保するためのコストを十分に頭に入れなければならない。その意味で、リスク管理とは、不測の事態が起きることを念頭に置いてつくられるべきプランなのである。

 今回のテロ事件で、もう1つ忘れてはならないことがある。それは、不測の事態が発生したとき、実際に何が起きてどのような状態に追い込まれているか、的確に把握するための情報収集能力の重要性だ。この分野も、日本人はあまり得意ではない。

 その背景の1つに、日本人は情報など形にならないものの価値を低く見る傾向がある。日本社会はもともと、モノづくりの文化が強く、形のある、いわゆるハードウェア重視の傾向が根強く残っている。