特定の組織や存在に依存するのではなく
複数の「居場所」とゆるいつながりを持つ

田原総一朗田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年に早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「城戸又一賞」受賞。早稲田大学特命教授を歴任(2017年3月まで)、現在は「大隈塾」塾頭を務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)、『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』(冨山和彦氏との共著、KADOKAWA)など。 Photo by Teppei Hori

 大空氏、田原氏の解説によると、イギリスやアメリカでは、カトリック系の教会が弱者支援の非営利セクターとして機能している。また、これらの国では地域社会が公的な役割を担っており、寄付もあり、NPOも日本と比べると強固な存在だ。

 欧米は基本的には一神教なので、イエスの下で起きた問題は、個々の問題であろうと社会問題であろうと、みんなで支え合おうする文化がある。

 一方で日本は多神教のため、宗教が社会問題にまで責任を持つことは難しい。「仏教を国教に」という議論も過去にあったが、仏教は宗派が細かく分かれていて求心力を持ちにくい。「そこで天皇制を据え、これを基礎にした明治憲法を制定した」と田原氏。

 大空氏は、孤独を救って命をつなぐのはたしかに宗教のひとつの機能でもある、と話す。ただし、宗教は人を依存させる力を持つ。依存自体が悪いわけではないが、特定の組織や存在に依存するのではなく、家や学校以外の「居場所」をひとつでも多く確保し、「ゆるいつながり」をつくることが重要と訴えた。

 参加者の女子大学院生が、「一般の人同士が支え合っていけるとよいと思うのだが、そのために果たして自分は何ができるだろうか」と問うた。

 また、ある女子高校生は、「偏差値で『居場所』が決まり、学校内でも成績で階層が分かれる。その外に自分で飛び出すのが難しい」「高校生になり、お小遣いがあるので私はこうした場に参加できるが、親が外出を止める家庭もあると思う。小学生や中学生は、他とつながりたくても、生きている場所が狭すぎて、どうしたらいいかわからない人が多いと思う」とコメント。

「親がよかれと思って子にレールを敷くことで、子が親の期待に沿おうとして苦しくなる」「事実上、就活が『自分が何をしたいか』を決める、初めての機会である」といった話題も出た。

 子育て中の家庭の支援に関わっているというある社会人男性は、「『このままだと虐待しそうで(相談に)来た』という相談者の場合、このように救いを求めている時点である程度、問題は解決している。しかし、『虐待をするかもしれないが外に救いを求められない人』に対して、我々や行政は何ができるだろうか」と問うた。

2人Photo by H.K.

 これを受けて大空氏は、「あなたのいばしょ」は問題解決までは踏み込まない、その人が「死にたい」と思う気持ちを「死ぬのをやめる」という状態へ持っていくまでが自分たちの仕事だ、と説明する。

 警察の調査では、自殺の要因は、自殺者それぞれ平均4つあるという。人が抱える問題は複合的だ。第一、「解決してあげる」のはおこがましい。「死にたい」というのは、「死への恐怖」を「生きる苦しさ」が上回っている状態。「あなたのいばしょ」に駆け込むことで、「自分はひとりではない」ということを知り、「生きる苦しさ」が「死への恐怖」を上回らないようにする。死ぬことをひとまず、食い止めることが「あなたのいばしょ」の仕事だ。そこから継続支援をするのは地域や行政の役割で、行政の民生委員(※地域で孤立した人の相談に乗り支援する、厚生労働省が委嘱した非常勤の地方公務員)につなぐなり、地域に情報を送るなりして、私たちはバイパスの役割を担うと、大空氏。

 ある男性は、「歌舞伎町でホストをしている。夜の世界には死にたい人が多い。『死にたい』と言う人に、『死なないで』というのはよくない。死にたいと考えるその人自身を否定することになる。だからその場では、死ぬことに対して、価値判断しないことが大事だと思う。死にたい理由の多くは生存本能の裏返しで、求めるものが生きていてもかなわないと思うから、死にたいと考える。それは逆をいえば、生きる希望があるということ。ひとまず、死にたいあなたを否定しないということは、大切ではないだろうか」とコメント。

 これに大空氏は全面的に賛成しながら、「あなたのいばしょ」のモットーは、「死んでもいいけど死んじゃだめ」と語る。

 自殺というのは苦しいときの逃げ道。そこを否定すると、最後の希望の出口までふさぐことになる。今のお話の通りで、「死にたい」の裏に「生きたい」がある。その(苦しめる)問題がなくなっても死にたいかというと、そうではないだろう。死にたいという信号を出した段階でつながってもらい、生きる選択を行使してもらう。自殺者は、家族や親しい周囲に知られないように、裏アカでずっと誰かとつながっていたということはよくあり、必ずどこかに微弱でもSOSの信号を出している。それをいかにつかみとるかが大事だと大空氏。