模倣そのものは問題ではないが
多様性は求められる
ここまで、画像生成AIには非常に大きな可能性がある一方で、「ユーザーが機械に合わせなければならない課題がある」「AI開発における倫理的な課題を意識しなければならない」という話をしてきました。
もうひとつ、画像生成AIブームが起こったときに議論となったのが「AIが人間のクリエイターの仕事を奪うのではないか」という点でした。前述したとおり今の段階では、まだまだ職人芸のような入力が必要なため、完全にクリエイターの仕事を奪うところまでは至っていないと言えます。
どちらかというと今は、AIが人間のクリエイターの成果物を利用して学習し、新しいクリエイティブを作っていくという大きなトレンドに対する倫理的な問題が問われています。AIの開発企業が過去のクリエイターの成果物をフリーライドで使っているという指摘は、確かにその通りだと思います。
一方で人間の歴史はすべて、模倣から始まっています。AIに限らず、過去の芸術家も模倣から何かを生み出してきました。それを極めて効率的にやっているのがAIなのです。模倣は一切ダメといった倫理を持ち出したら、クラシック音楽もジャズも成立しなくなってしまいます。ですから模倣そのものは問題ではないと私は思っています。
それより、みんなが優れていると思うテイストの画像へ殺到した結果、同じようなものが氾濫することに危惧を覚えます。
読者の皆さんも、一度はどこかで「いらすとや」のイラストを見たことがあるはずです。お役所の資料などでも使われ、日本におけるイラストの一種の破壊的なイノベーションだと思います。しかし、あまりにもみんなが使いすぎて、いらすとやのテイストが合わないところでも使われるようになったことは、良くないのではないかと思うのです。
MidjourneyやStable Diffusionも「無料で使えるから」とみんなが使うようになってしまっては、クリエイティブではないと感じます。今後、いろいろなテイストで出力できる別のAIがたくさん登場すればいいと思いますし、現状のAIももっと別のテイストの画像が出力できるようになって、多様性が広がることを期待しています。
(クライス&カンパニー顧問/Tably代表 及川卓也、構成/ムコハタワカコ)