「ファスト教養はふたつのレイヤーがあると考えています。一つは歴史や文学、アート、その他の情報を『ビジネスに役立つ教養』などとうたい、簡易的に、かつ短時間で概要のみを理解させるコンテンツのこと。インプットの時短化が売りのものですね」
冒頭の「10分でわかる△△」という動画がまさにこれだ。また、有名YouTuberによる名著、ビジネス書解説なども、同様のコンテンツだといえるという。
「もうひとつの意味合いは、そのようなコンテンツが広く受け入れられる時代のあり方そのものです。今のビジネスパーソンが様々なジャンルの情報を大雑把にでも手早くインプットしたくなる背景には、『他人との差別化を図ることで、周りを出し抜いて生き残らないといけない』という感情が存在するケースが多いと言えます。そんな空気に合致したものとして『できるビジネスパーソンなら知っている教養』といったキャッチコピーが持て囃される。このような状況もファスト教養の概念に含みます」
短時間で効率よく“教養”を吸収し、周りを出し抜いていかに稼ぐか――。ファスト教養が広がる背景には、自己責任論に端を発する不安や脅迫があるという。
「2004年の新語・流行語大賞トップ10にもノミネートされた『自己責任』という言葉は、現在に至るまで日本社会のあらゆる場面に浸透しました。政治家は自助の精神を当たり前のように説き、ホームレスの人や生活保護の利用者に対して差別発言をするインフルエンサーが人気を得てしまう、それが今の時代です。誰しもが自己責任で生き抜くことを求められる社会では、適応と成長ができなければ脱落してしまうという不安感にたくさんの人々が苛まれている。『教養がないと脱落する』と脅迫するコンテンツは、そんなネガティブな内心を的確に刺激することで支持を拡大しています」
ファスト教養を学ぶことは
コミュニケーション能力を高めるだけ
ただし、レジー氏は短時間での効率的な学びを絶対悪とみなしているわけではない。情報処理スピードを上げることで余剰時間が生まれることもあるからだ。また、そうして得た知識が、その分野に興味を持つ入り口になるケースもあるだろう。
「大前提として、優れた入門コンテンツや要約コンテンツはたくさん存在しますし、そういったものはどんどん活用するべきです。とにかく原典に当たれ、みたいな極端な話をしても仕方ないですし(笑)。今指摘したいのは、多くのファスト教養的なコンテンツが『学びの入り口』ではなく『これを読めばOKで、周囲と話を合わせられる』『この1冊、1本の動画で免許皆伝』という構造を持っているのではないかということです。その場でわかった感じを醸し出すことがゴールに置かれたコンテンツから、そのジャンルの深い世界に入り込んでいくような体験は起こり得るのでしょうか」
落語を「教養」として論じたある書籍の表紙には「2時間でざっと学べてすぐに語れる!」という文言があり、「ファスト教養を象徴している」とレジー氏はいう。もちろん、2時間では主要な演目すら満足に聞けないはずであり、それで落語を語れるようになるのだろうか。
「落語を聞く行為と『すぐに語るためにざっと学ぶ』ことを切り離した書籍を読んでも、身につくのは『とりあえず話を合わせる』という表層的なコミュニケーション能力だけです。もちろんそれはそれで価値のあることとも言えますが…」
他にもレジー氏はファスト教養に対する問題提起を示す。それは現在、ネット上で人気の、教養があるとされるインフルエンサーたちへの違和感である。
「ビジネス・教養系YouTuberとして影響力がある方々は、往々にして自己責任論の旗手でもあります。彼らは断定的な口調や『バカ』『頭悪い』という言葉を多用し、他人を見下すような言動をとることも多い。そのようなスタンスと”教養”や”学び”が結びつくのは適切なことなのでしょうか。いずれにせよ、それが多くの人に是認される社会は、率直に言って居心地の悪さを感じます」