磨き上げられた手法が唯一無二を生み出す

 実際に試みてほしい。『モナリザ』と違って、ポロックの偽物なんて、「こんなの、誰でも作れる」「何枚でも描いてやろう」といって作れるか。たぶん、無理だ。『モナリザ』とその偽物を並べた時に、「これは違う」とわかるように、ポロックの絵と、それを真似して描いたものを並べても、「こっちはポロックではない」とわかる。なぜなら、そこにはポロックならではの、いろいろな技法があるからだ。

 ポロックは、絵を描いている時は、カンバスを床に置く。美術館に展示されている時は、床から垂直な壁に掛けられているが、描いている時は違うのだ。床に置いたカンバスに、缶からペンキをぶちまけたり、筆から雫を垂らしたりして描く。そんな作業は、とくに美術の修練を受けていない人でも誰でもできる、と考えるかもしれない。しかしペンキの粘度、つまり絵の具の濃さ・薄さ、硬さ、そういった条件による粘度や滑らかさによって、床にペンキや絵の具が落ちる速度は変わる。さらに、どんなスピードで、缶を持った手を動かすかによっても、画面にできる垂れた絵の具の線の太さや、線の途切れ具合、雫の点々の大きさは変わる。ポロックは、自分が使っているペンキや絵の具の粘度がどのようなものかわかった上で、それに合わせて手や(移動する)足を動かす速さをコントロールする。それを他の人が再現することはできない。

 適当に描かれているように見えるが、そこには磨き上げられた一貫した制作の手法があって、それが他でもないジャクソン・ポロックの絵画、となっている。

重力から解き放たれた、星空のような絵画

 ポロックは、ピカソに先にやられてしまった、と文句を言いながらも、ピカソでさえ描いたことのない、新しい絵画のスタイルを創始した。しかし、それがなぜポロックだったのか。つまり、パリやロンドンにいるアーティストではなく、なぜアメリカのアーティストによって成し遂げられたのか? このことも考えてみる意味がある。

 新しいものが生まれるには、新しい土地、あるいは土地でなくてもいいのだが、新しい環境・状況が必要になる。西洋美術でいえば、イタリアやフランス、それにドイツやイギリス(他にも、スペインや、オランダ)など、分厚い歴史の積み重ねがあった。そういうヨーロッパで制作をしていると、歴史の重みや伝統の強さに押しつぶされてしまって、新しいことができない。できづらい。マルセル・デュシャンも、フランス人だったが、ニューヨークに渡って、そこを活動の場とすることで、アメリカで成功し、新しいアートを作り出すことを実現できた。今でも、デュシャンの主要な作品はアメリカに残っている。やはり、アメリカという新天地がもっていた力が、新しいアートを生み出したのだ。

 ジャクソン・ポロックも、同じだ。