夢の実現に必要なのは
能力ではなく踏み出す勇気
校長勤務の後、奈良県教育委員会事務局参与として3年間にわたり地域の教育に携わった。この「第二の人生」を経て、2020年からは「第三の人生」として「竹本教育研究所」を立ち上げた。
「これからの時代を生きる若い人たちは、一つの会社で一生を終える割合がどんどん少なくなっていくはず。すでにさまざまな雇用形態が当たり前になってきている中で、自分自身がいろいろなことを学び、経験しないことには、とても若い人たちに語ることはできない」と、どこまでも“実践者”の道を貫く。
研究所では、これまでの経験を社会に還元し、「日本の将来を担う若者の育成」に資することを目指す。新型コロナウイルスの影響により活動は制限されたが、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が実践したことでも知られる、教育者の原田隆史氏による“原田メソッド”の認定パートナー資格を取得するなど、学びのアップデートは欠かさなかった。
竹本氏の学びの一部は、今年から母校の奈良女子大学でも発揮されることになった。同大で4月に開設された日本の女子大史上初めてとなる工学部の1期生に対し、キャリアに関する授業を受け持つことになったのだ。
非常勤講師のため、報酬は担当する授業のコマ分だけと決して高くはない。年金が支給されているからこそ選べた働き方ではある。それでも、「母校の後輩を、しかも工学部の1期生を育てるというミッションにしびれた。生き方を伝えられるこの授業は、まさに天職」と話す。
自衛隊時代から、「竹本さんだからできるんでしょう」「私にはとても無理」との言葉を浴び続けた。そんな言葉を竹本氏は否定する。「私だからできたのではないし、私自身も決して順風満帆な人生ではなかった。子育てでは娘を生後2カ月から3歳半まで夫の実家に預けたし、家庭を維持するのは本当に大変だった。仕事に打ち込むためには、『愛してくれる人のところにさえいれば、子どもは必ず育つ』と割り切ることが必要だった」。
それでも「やる気と目標さえあれば、困難な道でも歩んでいける。必要なのは能力ではなく、一歩を踏み出す勇気を持てるかどうか」と力を込める。中学生の頃に大事だと知った「国防」と「教育」の二つの柱は、竹本氏自身を支える柱にもなった。70歳を迎える2026年をめどに、大学院進学も考えている。「夢を抱くのに年齢制限はない。私も、いくつになっても大きな夢を持っていたい」。そう話す竹本氏の瞳は輝いていた。