日本のクルマ市場の拡大と日本の自動車産業の世界戦略推進により、必然的に「東京モーターショー」は世界5大モーターショーの一つに数えられるほど世界から注目された。

 しかし、日本国内ではバブル景気の崩壊とともにクルマ市場も低迷の時期を迎えて、東京モーターショーの集客も“停滞”から“右肩下がり”へと流れが変わる。来場者数は1991年の202万人をピークに2017年には77万人にまで落ち込んだ。この間、乗用車ショーと商用車ショーを交互開催する時期もあったが、結局2年に1回の開催で定着し、主催者も自動車工業振興会を2002年に自工会が吸収したことで、現在の形に落ち着いている。

 東京モーターショーが紆余(うよ)曲折を経る中で、国際モーターショーとしての位置付けは「終わった」とさえ言われるようになった。世界の自動車メーカーが日本のクルマ市場に関心を持たなくなり、出展しなくなってきたのだ。

 ただし、これは東京モーターショーだけでなく、かつて国際モーターショーとして位置付けられてきた「パリサロン」「フランクルト」「デトロイト」なども同様で、いずれも“ローカルショー”になってきている。盛況なのは、いまや自動車大国となった中国の北京・広州・上海のショーだが、直近ではコロナ禍で開催中止にしているところもあり、世界的にクルマイベントが転機を迎えていることは確かだ。

 一方で、国内における「若者のクルマ離れ」と言われる状況に危機感を強めていたのが、豊田章男氏である。トヨタのトップとしてすでに13年君臨し、「モリゾウ」の異名を持つクルマ好きの社長として知られる。

 自工会会長として東京モーターショーへの危機感を示したのが、毎年の年明けに幕張メッセで開催される「東京オートサロン」の盛況ぶりとの対比であった。