「ゴミ拾い」賛否はいいが、漂う「日本の衰退」
世界よ、これが日本のゴミ拾いだ――。そんな誇らしい気持ちになっている方がたくさんいらっしゃるのではないか。
サッカー・ワールドカップでさまざまな国の人々が、「彼らはとても美しい」「本当にリスペクトができるよ」などと日本人を称賛しているからだ。そんな「日本ブーム」の盛り上がりは、以下のようなメディア記事のタイトルからも伺えよう。
・日本人と一緒にゴミを拾った英識者 「英国でこれが想像できるか。素敵だ」と感激(THE ANSER 、11月29日)
・バーレーンのYou Tuber、サムライ・サポーターのごみ拾いを称賛: 世界を驚かせる日本人のマナー(nippon.com 、11月22日)
・美しい日本、ドイツ撃破後のピカピカのロッカールームが世界で話題に…“ありがとう”の手紙と折り鶴(超WORLDサッカー! 11月24日)
「日本に生まれてよかった」と感動に包まれている人も多いだろう。そんないい気分に水を差すようで大変心苦しいのだが、個人的には今のムードにはちょっと不安を感じている。
「出たぞ、こいつも舛添氏のように、ひねくれたヤツだな」と思われるかもしれない。これらのゴミ拾い報道に対して、元東京都知事の舛添要一氏がTwitterで「清掃の仕事を奪う」「日本文明だけが世界ではない」などと苦言を呈したことが話題になったからだ。
また、大王製紙元会長の井川意高氏も「こういうの 気持ち悪いから やめて欲しい ただの自己満足」と投稿。一部のTwitterユーザーの中には、「ゴミ拾いしか誇れるものがないのが情けない」なんて意地の悪い見方をしている人もいる。
では、筆者も彼らのようなことを感じているのかというと、そんなことはない。ゴミ拾いや整理整頓が称賛され、それを誇りに感じるか否かは人それぞれの自由だ。
むしろ、個人的には喜ばしいことだと思っている。『観光地にゴミをポイ捨てする日本人、伝統的倫理観「旅の恥はかき捨て」の末路』の中でも詳しく解説したが、コロナ禍で外国人観光客が消えた有名観光地で深刻な問題になっていた。「日本人のゴミ拾いは世界一」という報道に気を良くした日本人が増えれば、こういう国内の状況が改善されるかもしれないのだ。
「日本人のゴミ拾いは世界一」という論調を否定的に見ていないとしたら、一体なぜ今のムードを不安に感じているのか読者は疑問に思うだろう。論調自体は問題ない。ただ、こういう論調がもてはやされる社会ムードが怖いのだ。日本の「惨敗」がそこまで迫っている可能性があるからだ。