「普通の生活」をちゃんと味わう

 まず第1に、「普通の生活」をちゃんと味わうことです。

 朝起きて、顔を洗って、食事をして、出勤する。一生懸命に働いて、電車に乗って帰宅して、晩御飯を食べて、家族と団欒して、趣味を楽しんで、風呂に入って、寝る。そんな「普通の人」の「普通の生活」のなかで、自分の中に生起する「感情」をちゃんと味わうのです。

 私たちの中には、刻一刻とさまざまな「感情」が湧き上がっています。

 朝起きたとき、思わず「会社に行くのが面倒くさい」と思ってしまう。毎日毎日、歯磨きをするのが面倒くさい。駅まで歩くときに花を見て「綺麗だなぁ」と思う。スマホで思わずクリックした「暴露記事」を読んで気分を悪くする。出社してメールが大量に届いているのにゲンナリする。部下のジョークに吹き出す。上司の一方的な言い方に腹を立てる。書店で見かけた本のタイトルが気になって仕方がない……。こうしたさまざまな「感情」が自分の中に湧き上がるのを、しっかりと味わうことが大事なのです。

絶対に、自分の「感情」を
押し殺してはならない

 なぜなら、「お客さま=普通の人々」の気持ちや感情に共感するためには、まず、自分の「感情」がイキイキとしていなければならないからです。こちらの「感情」が死んでいるのに、他者の「気持ち」や「感情」をイキイキと感じることなどできるはずがありません。それでは、「人がどんな“不”を感じているか?」を感じ取ることもできるはずがないのです。

 ところが、私が見るところ、多くの企業(特に大企業)において、「感情を押し殺すのが大人」という文化が根深くはびこっているように思えます。たしかに、ネガティブな「感情」をぶちまけるのは幼稚であり、TPOをわきまえて「感情」を抑制する必要はあるでしょう。

 しかし、組織文化に過度に適応した結果、自分の「普通の感情」すら押し殺してしまう人を大勢見てきました。

 そういう人が、“真面目”に「専門性」を磨き続ければどうなるか? もう、言うまでもないでしょう。会社の文化に表面的に適応することは必要ですが、私たちの内心で湧き上がる「感情」を押し殺すようなことは絶対にしてはいけないのです。

「属性の違う人々」と幅広く付き合う

 第2のポイントは、できるだけ多様な人々と接することです。

 ありがたいことに、私は、中学時代、高校時代、大学時代、それぞれの友人とずっと付き合わせてもらっています。みな学歴も職業も違えば、歩んでいる人生もさまざま。私のようなビジネスパーソンだけではなく、自営業者、公務員、主婦などさまざまな属性をもっています。

 あるいは、近所付き合いも積極的にさせていただいているため、子どもから高齢者まで、さまざまな方々と触れ合う機会に恵まれています。地元のソフトボール・チームにも参加して、属性の違う人々と一緒にボールを追いかけるのも、実に楽しいひとときです。

 こうしてお付き合いさせていただいている方々の大半は、私が「専門」としている「ビジネス」や「新規事業」の話などまったく興味がありません。

 そもそも「使う言葉」が違う。「ビジネスモデル」「マーケティング」などという専門用語を使っても、会話が成立するわけがありません。だから、相手の方と楽しいひとときをご一緒するためには、相手の気持ちに寄り添いながら会話を重ねていく必要があります。これが、いいトレーニングになるのです。

 もちろん、なかなか話が合わずに苦戦することもありますが、相手が日頃感じている「楽しいこと」「嬉しいこと」「悲しいこと」「腹が立つこと」などに耳を傾けていると、同じ人間同士、どこかで必ず共感できることがあります。そうして心が通じ合うようになると、本当に楽しいし、嬉しいものです。

一方の手に「専門性」を、
もう一方の手には「感情」を

 しかも、これがビジネスに生きる。

 私は、「人はどんな“不”を感じているか?」をつかみ取るためには、徹底的にミクロで考えるべきだと思っています。つまり、「特定の誰か」を想定しながら、その人が「どのような“不”を」「どんなシチュエーションで」「どのくらいの頻度で」感じるのかを徹底的に掘り下げるのです。ここでいかにリアルな「不」をつかみ取れるかが、ビジネスの成否を決定づけると言っても過言ではありません。

 そして、このときに、これまでお付き合いさせていただいた、さまざまな属性の人々との交流が活かされます。

「あのお爺さんならどうだろう?」「あの同級生はどう感じるだろう?」「あの少年はどうか?」などと、みなさんの立ち居振る舞いや表情なども思い返しながら、彼らの中に生起する「感情」をリアルに想像することができるからです。

 このように、「専門性」のパラドックスに陥らないためには、「専門性」を高める努力をする一方で、自分の「感情」を大切にし、さまざまな属性の人々と「感情」を通わせる経験を積むことが大切です。これこそが、「仕事人間」「会社人間」になってはならない、最も重要な理由だと私は考えています。そして、「本当に仕事ができる人」ほど、プライベートを大切にして、広い交友関係を楽しんでいるものです。逆説的ですが、「よく遊ぶ」ことこそが、仕事力を高める「ディープ・スキル」だと言えるわけです。

(本記事は『Deep Skill ディープ・スキル』(石川明・著)から抜粋・編集したものです)