親父さん:違いが出るのは、学ぶのに同じ時間を費やした者同士の話だ。根本的な差は、結局のところ、やった奴・やり続けた奴と、やらなかった奴の間に生じる。

無知くん:水が高いところから低い方へ流れるくらい、当たり前です。

親父さん:では、こう言えばいいか。誰かが勉強できない最大の理由は、勉強にそれだけの時間を配分してないから、もっと言えば、人生の中で勉強の優先順位を高くするのに失敗してきたからだ。これは勿論、本人の心がけだけの問題じゃない。勉強を軽んじる奴、憎んでいる連中は数多いし、そういう奴らは自分の近くで誰かが学んでいると「自分を否定された」と思って熱心に邪魔しに来る。「勉強しろ」と口先では言う大人は少なくないが、そういう大人が誰かを勉強させることに成功しないのは、そう口にする当人が「勉強なんてできれば避けて通りたい」と思ってるからだ。

無知くん:身も蓋もない。でも、本屋に行けば、勉強本があふれてますよ。そもそも勉強に興味も関心もないなら、誰もお金を出して勉強本なんて買わないでしょ?

親父さん:勉強本を買うほどに、学ぶことに関心を持つことができた者は、それだけ恵まれているということだ。現代では、格差はまず動機付けの段階で現れる〈3〉。そのことを薄々感じるからこそ、学ぶ動機付けを持てなかった者は「勉強・学問なんて役に立たない」と吐き捨てるだけで済まさず、僻み根性を拗らせて、幸運にも動機付けを持てた〈めぐまれた連中〉に嫌がらせまでするようになる。これに対して、そうした連中を見下したい〈意識の高い連中〉は、自分が学ぶ動機付けを持った人間だと思いたい一心で、あれこれの勉強本を買い漁る。

〈3〉苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差(インセンティブ・ディバイド)社会へ』(有信堂高文社、2001)