ノーベル賞経済学者リチャード・セイラーが「驚異的」と評する、傑出した行動科学者ケイティ・ミルクマンがそのすべての知見を注ぎ込んだ『自分を変える方法──いやでも体が動いてしまうとてつもなく強力な行動科学』(ケイティ・ミルクマン著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)。世界26ヵ国で刊行が決まっている世界的ベストセラーだ。「自分や人の行動を変えるにはどうすればいいのか?」について、人間の「行動原理」を説きながらさまざまに説いた内容で、『やり抜く力 GRIT』著者で心理学者のアンジェラ・ダックワースは、「本書を読めば、誰もが超人級の人間になれる」とまで絶賛し、序文を寄せている。本原稿では同書から、その驚くべき内容の一部を特別に紹介する。
「どんな仲間がいるか」が行動に影響を及ぼす
経済学者のスコット・キャレルは社会的影響の力についての先行研究から得た知識をもとに、空軍士官学校の中隊の仲間の学業成績が、新入生の成績に影響をおよぼすのではないかと考えた。
第一に、同じ中隊の仲間がみな学業に励んでよい成績を取っていたら、自分も猛勉強して好成績を取らなければ、はみ出し者のように感じるだろう。
第二に、仲間が学業に励んでいるのを見て、「彼らはサボることに何らかの悪影響があることを発見したのだ」と意識するかもしれない。
仲間の影響力に関するこの予想を検証するために、スコットはほかの研究者と組んで、士官学校の中隊にランダムに配属された、約3500人の3年間の学業成績を分析した。
「一緒に過ごす相手」が生涯を通じて影響を与える
その結果、新入生が所属する中隊の入学前のSAT(大学進学適性試験)の言語テスト(800点満点)の平均点が100点高くなるごとに、中隊の1年目のGPA(成績平均点)が4.0点満点中0.4点高くなることがわかった。
0.4点とは、オールAマイナスの成績と、オールBないしBプラスの成績との差にも相当する。抽選の運不運は、よいスタートを切れるかどうかに、たしかに大きな影響をおよぼしているように思われた。
高い目標をめざすときに、よい仲間に囲まれることがいかに大切か、よくない仲間に囲まれることがいかに害をおよぼすかを、スコットの発見は明らかにした。
一緒に過ごす仲間が、往々にして人々の行動に生涯を通じて影響を与えているという報告が相次いでいる。
たとえばある研究では、従業員が退職貯蓄の勉強会に参加すると波及効果が生じ、勉強会に参加した従業員の退職貯蓄が増えるだけでなく、参加しなかった同僚たちの退職貯蓄までもが増えた。
悪い仲間とつきあうのはやめてよい仲間を探しなさい、という世の母親たちの戒めには、一理あるのだ。私たちの成績からキャリア、お金にまつわる決定までのすべてが、少なくともある程度は仲間の影響を受ける。
2006年夏、スコットは空軍士官学校の上層部から電話を受けた。スコットは毎夏、予備役の一員として学校を訪れて授業やコンサルティングサービスを提供する忠誠心の高い卒業生なので、上層部から問い合わせを受けることが多い。
だがこのときの電話の向こうの声は、いつになく切羽詰まっていた。
士官学校の1年生が苦戦している。成績が下がり、中退率が上がっているのに、なぜなのか、どうすべきかが誰にもわからない。助けてもらえないだろうか?(中略)
「どんな相手」と一緒がいいか?
スコットは中隊の配属が新入生の成績におよぼす影響を明らかにした、自分の研究を思い返した。電話を切ると、さっそく綿密な計画を立てた。
スコットが士官学校の上層部に提案したのは、こんな計画だった。
中隊への配属をランダムに決めるのではなく、SATの言語テストの得点が最も低い学生と最も高い学生とを意図的に組み合わせるようにするのだ。
そうすれば優秀な学生に感化されて、同じ中隊の仲間の学生の成績が底上げされるに違いない。しかもこの計画の実行にはコストが一切かからない。
このような見込みに誘われて、上層部がただちに計画実行のゴーサインを与えたのは当然だった。スコットたちは実験的アプローチを通してこの手法の有効性を試すことを許された。もし実験が成功すれば、世界中の大学がその成果を利用できるだろう。
士官学校の上層部は2007年度と2008年度にスコットらのきめ細かい指示の下で、成績の低い学生を高い学生と同じ中隊に入れ、優秀な学生の学習習慣がよい影響を与えることを祈った(中間の成績の学生は中間の成績の学生同士で組ませた)。
比較対象として、一部の中隊の配属は従来どおりランダムに決定された。実験期間が終わると、スコットたちは2つの群の学業成績を比較した。
「差の大きい相手」と組ませたら、学力が低下した
スコットは狙い通りの結果が出ることを信じて疑わなかったから、データが出てもいないうちから論文の序論に取りかかり、予想される結果を書き始めていた。
一刻も早くこの成功物語を伝え、空軍士官学校の新しい試みから学ぶ機会を世界中の学校に提供したくてたまらなかった。
だから、士官学校生の成績に初めて目を通したとき、すっかりうろたえてしまった。何かの手違いだろうと、データ元に電話をかけた。「実験群と対照群を誤って入れ替えていませんか?」と訊ねた。
だが誤っていたのはスコットの予測のほうだった。
データの徹底的な精査を経て、悲惨な数字が確認された。
新しい中隊の配属方式は2年連続で、新入生を助けるどころか、むしろ害を与えていたのだ。厳選された中隊の新入生は、従来の方法でランダムに仲間集団に配属された学生に比べ、学業成績が「悪化」していた。
なんてこった! スコットは、新年度の新入生がやってくる前に新しい振り分け方式を中止しなければと、慌てて方々へ電話をかけた。
「真似できる相手か、できない相手か」で変わる
だが実験を完了することは、彼の責務の一つに過ぎない。「なぜ逆効果だったのか」を解明する仕事がまだ残っていた。スコットは学生を調査し始め、さらに多くのデータを分析して、この結果を合理的に説明しようとした。
問題はすぐに明らかになった。中隊の高成績者と低成績者が交流して影響をおよぼし合うという研究者のもくろみとは裏腹に、高成績者と低成績者は分断してしまった。
両極端の学生の橋渡しをする中間層の学生がいなかったために中隊は二極化し、そのことが低成績者の学業成績に悪影響を与えた。スコットは図らずも、定石ともされる社会的影響手段の深刻な弱点を発見したのである。
「差」が大きすぎると挫折を招く
ちょっと想像してほしい。あなたは集団内の同僚や同級生、隣人たちにつねに後れを取っている。花形の同僚たちより給料が少なく、うだつが上がらず、成績が悪く、全体として見劣りがするという現実を、来る日も来る日も目の前に突きつけられる。惨めだろう?
あなたは絶望に陥り、優秀な人たちを避けるようになる。(中略)
社会的影響を活用するためには、お手本になる人たちと後押しを必要とする人たちとの格差が開きすぎていてはいけないのだ。
速く泳げるようになりたい人は、オリンピック金メダリストのケイティ・レデッキーの隣で練習してはいけないということだ。ケイティの訓練法をコピペしようとしても、自分の限られた才能では彼女の方法を生かし切れないことを(正しく)悟って絶望するだけかもしれない。
同様に、退職貯蓄に関する私たちの研究が示したように、他人の成績を知ることがモチベーションとして機能するのは、自分も簡単に真似できると思える場合だけである。
(本原稿は『自分を変える方法──いやでも体が動いてしまうとてつもなく強力な行動科学』からの抜粋です)