三つのカーオブザイヤーで高評価
誤報のハプニングも
日本のカーオブザイヤーの歴史を追ってみると、日本のモータリゼーションの進展の中でクルマ市場が急拡大したことでいわゆる「クルマ雑誌」も急増し、それぞれが「自動車大賞」などを選定する”カーオブザイヤー氾濫期”の時代があった。これを整理するかのようにまとめたのがCOTYで、1980年から日本カー・オブ・ザ・イヤーの受賞がスタートしている。しかし、レコード大賞などでも騒がれたことがあるように、バブル景気の中で”賞を取らんがための接待攻勢”が表面化し問題となった。
これに批判的な関係者が創設したのがRJCであり、91年からRJCによるカーオブザイヤーが開始された。さらに、米国の自動車殿堂にならった殿堂が2001年に創設されて以来、三つのカーオブザイヤーが選ばれる現在に至っている。
実は、筆者もRJCカーオブザイヤーの選考委員をここ数年務めている。今年は、これまでコロナで中止されていた最終試乗選考会を栃木県「モビリティリゾートもてぎ」で11月8、9日に実施した。交通費・ホテル代は自腹での参加である。
結果は、すでに述べた通り、サクラ/ekクロスEVがカーオブザイヤーを受賞し、次点はスズキの「アルト」、3位はマツダの「CX-60」だった。すでにホテルに宿泊した当日の11月8日には、殿堂の方がサクラ/ekクロスEVの受賞を発表していたこともあり、RJCの投票結果も順当といえば順当であった。ちなみにRJCの方では、トヨタ自動車とホンダがノミネートを辞退していたという事情もある。
なお、8日夜に日本経済新聞電子版が殿堂とCOTYを間違えて、COTY日本カー・オブ・ザ・イヤーに両車が受賞という誤報が流れるというハプニングもあった。記事はすぐに訂正されたが、それだけまぎらわしいということか。