1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集をして掲載しています。

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日本の生命線をたどれば

 かつて、「戦艦シュペー号の最期」という映画が話題となったことがあった。そのうちリバイバルとしてテレビで放映されるかもしれない。第二次大戦の初期、ドイツ戦艦シュペー号がインド洋から大西洋にかけてイギリスの通商破壊に従事して、あばれにあばれたあげく、イギリス艦隊に追いつめられて南米ラプラタ河口において自沈するという話である。これを見て驚くのは、たった一隻の豆戦艦に振り回されて、巨大なイギリス艦隊がキリキリ舞いさせられていることである。これが第一次大戦になるともっとひどい。わずか三〇〇〇トンの軽巡エムデン、五〇〇トンの帆船ゼーアドラーが通商破壊に出撃しただけで、この世界の海の支配者は悲鳴をあげてのたうちまわる。しばらくの間、英国大艦隊もいかんともしがたく、大英帝国の海軍は一大恐慌に見舞われた。

 なんということだろう。理由は明白である。大英帝国の動脈ともいうべき通商網は全世界に張りめぐらされているから、針一本をどの部分に突きさされても痛みは全身を駆けめぐるのだ。

 この生命線を守るためなら、イギリスはどんなことでもやった。一九世紀といえば大英帝国の絶頂期であり、イギリスこそ世界文明の卸問屋で紳士の一手専売業のような顔をしていながら、ひとたびこの生命線が脅かされるとなると、イギリスはあらゆる手段も、平気でうったえたのである。国際法は一片の半古紙のごとしというベートマン・ホルウェヒの言葉は、当時のイギリスのためにあるようなものであった。この点において、ベトナムにおけるアメリカや、ハンガリー、チェコにおけるソ連と少しも違ったところはない。そうしなければ、大英帝国が生きてゆけないからである。口に出さないだけであって、生レーベンス・ラウム活空間を獲得し守る点において、ヒットラーも及ばないほど抜けめがなかったのである。

 とくに大宰相ディズレーリー(ビーコンスフィールド伯)は、大英帝国の生命線の確保に肝胆をくだいた。彼が、エジプトの財政破綻につけ込んで、「イギリス政府を担保」にしてまで資金を調達してスエズ運河株を買収して、レセップス多年の苦心の結果を横取りしてまで「帝国生命線(エムパイア・ルート)」を確保したのは有名な話であるが、これなどまだいいほうである。実際、中東などの帝国生命線におけるイギリスは、まさに居直り強盗そのものであった。このことは、イギリス|エジプト間の外交史を一瞥しただけで、思いなかばにすぎるであろう。

 そのためにイギリスがとった政策がいわゆる二国標準主義であった。つまり第二位、第三位の二国を合わせたよりも優勢な海軍力を保有し、これによって全世界に張りめぐらされた生命線を守ろう、というのである。しかし、二国標準主義をもってしても、このことは容易ではなかったことは、エムデンやグラフ・シュペーの例を思い出しただけで明白だろう。

 このように国際政治の論理を考えてくると、現在(1976年当時)日本がおかれている国際環境は戦慄なくしては考えることができない。この資源の乏しい日本の経済的生命線は丸裸のまま全世界に張りめぐらされ、どこに針一本突きさされても日本経済は麻痺してしまうのである。この点、一九世紀の大英帝国とすら比べるものにならないおそろしい状況下にあるのである。

 丸裸のまま全世界にさらされている帝国生命線!

 ビーコンスフィールド伯ならば、こんなことは考えただけで痛風の発作のために失神するだろう。そして、正気にかえった後に、「これは、飢豹の前に生まれたての赤ん坊を放置するようなものだ」というだろう。

 この経済生命線は、二国標準主義的軍備(現在なら、さしずめ、米ソ二国を合わせた軍備とでもいうべきか)をもってすら守りきれないのである。現在(1976年当時)の日本にとって、こんな軍備が不可能であることはいうまでもなく、だいいち居直り強盗的度胸で砲艦政策を断行しようとする人間など一人も生き残ってはいまい。

 日本はいかにすべきか。その困難は想像に絶するものがあろう。日本国民は、全世界に情報網を張りめぐらし、これを科学的に分析し、機敏に行動を起こして戦争の芽をつまなければならない。これのみが日本の安全を保障するであろう。しかも、すでに論じたように、このことこそ日本人が最も不得意とするところである。ゆえに、このような努力の積み重ねについて、不断に国民の注意を喚起することこそ、まさに天下の木鐸の使命ではなかろうか。