1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集をして掲載しています。

石油危機Photo: Adobe Stock

「経済学」まで揺るがした石油危機

 われわれは、石油危機という天与のチャンスから現在(1976年当時)日本の危機の構造を学び取ることを忘れてしまっている。いつものことながら、日本人固有の健忘症である。そこで、もう一度当時に立ち返って、この危機の深刻さを追体験し、分析を加えてみることにしたい。

 この危機がとりわけ深刻である理由は、それが、日本経済の基盤の脆弱性をいかんなく暴露したことだけにあるのではなく、この危機を契機にして全盛を誇っていた日本経済学が一瞬にして没落してしまったからでもある。

 このことによって、われわれは、最も有力な現実分析の用具を失うことになってしまった。

 前に触れたように、経済的繁栄の美酒に酔いしれていた日本国民も、ニクソン・ショック、石油危機のおかげで、日本経済がどんなに不安定な基礎の上で繁栄を続けてきたか、ということに気づきはじめたようである。すでに、公害問題や過密・過疎問題が起こることによって、経済偏重の高度成長政策は全面的な批判にさらされることになったのであるが、いまやその高度成長政策すら実行困難になりつつあるのである。それどころか、日本経済の将来がどうなるかということについて、だれも明確な見通しを持つことができなくなってしまった。いままで、正確無比の的中を誇っていたエコノメトリシャンたちの予測がすっかり外れるようになったからである。「現代経済学の限界」が強調されるようになってからかなりたつが、日本経済学の非力が、これほどまで徹底した形でみせつけられるとは、あまりといえばあまりである。

 当時の日本経済は、迫りくる「非常時」にそなえるため転機を迎えつつあり、財政上の難問も多く、心労のあまり窮死したといわれる。当時の「非常時」に対する日本国民の行動様式と、現在の経済的危機に対する日本国民の行動様式とは、なんと類似していることであろう。この点に関する限り、日本人は敗戦から何も学び取っていないといえよう。その行動様式とは、驚くべき単細胞性と、イマジネーションと、それをもとにした社会現象の科学的分析能力の欠如である。

 戦前のミリタリー・アニマルが国を誤らせた理由は、軍事力といえども、政治、外交、経済、文化、学術などとの総合的な協働の上にはじめて有効であることを理解せず、軍事力の偏重というまさにそのことが敗戦を結果したということにあるのであるが、この点に関する限り、現在のエコノミック・アニマルも同様であり、全く改善のあとはみられない。彼らが、経済発展でさえも、政治、外交、社会、文化、学術などとの総合的協働のもとにおいてはじめて有効でありうる、ということを全く理解していなかったことは、ニクソン・ショックや石油危機に際してのあわてぶりをみただけで明らかであろう。いままで彼らには、経済偏重というまさにそのことが経済の危機を生むものであるということが、どうしても理解できなかったのである。

 このようなエコノミック・アニマルの行動様式に理論的基礎を与えてきたのが、現代(1976年当時)日本の経済学である。といっても非難の意味だけでいっているのではない。その大きな功績も認められなければならないことはいうまでもない。高度成長政策が、公害や人間疎外を生んだにせよ、貧乏な農業国日本を世界第三の大工業国にした功績は認めなければならないのと同様に、六〇年代における日本経済学の発展は、それ自身としては、高く評価されなければならない。ただ、現在(1976年当時)においては、政治学、社会学などと無関係な経済学は、現実分析において有効性を喪失してしまったのである。