チームの中で自分の考えをどう扱うかがデザインディスコースの基礎
東京とミラノを拠点としたビジネス+文化のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画。2017年、ロベルト・ベルガンティの著書『突破するデザイン』の監修に関与して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動するなかで、現在はラグジュアリーの新しい意味を探索中。著書に、『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)、『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『イタリアで、福島は。』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『ヨーロッパの目、日本の目』(日本評論社)。共著に、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』(日経BP社)。訳書に『日々の政治』(BNN)。監修に『突破するデザイン』(日経BP社)などがある。
ややサイズの大きな話をしてしまいました。しかし、本連載のコンテクストに合わせれば、1人の人間の見ること・考えることがいかにデザインディスコースの基礎中の基礎となるかを強調するためにあえて踏み込みました。言うまでもありませんが、他人と違う見方や解釈ができるからこそ1人の存在が貴重です。「そういうきれいな物言いは分かるけど、自分は平凡な人間で特別なことを考えられるわけではないし……」と自信のなさを嘆く方もいるかもしれませんが、これは逆に目的もなくズームアウトし過ぎたことに気が付かないのです。自分の姿をよりズームアップして見ていけば、そこに人との違いが浮き彫りにされてきます。
ここで別のエピソードを紹介しましょう。
私が「意味のイノベーション」やデザインディスコースを日本の人に説明する際、1人が持つ見方や考えがいかに大切か、その上で、1人の集合体「私たち」がつくるコンテクストが意味をつくっていくのだと話します。そうすると「日本では1人で考えるように教育されてこなかったのですよ」とコメントする人がいる一方、「1人で考えることを肯定していいのですね! チームが重視され、1人で考えるのは後ろめたかったのでうれしいです」と声を弾ませる人もいます。
さて、この日本での経験をイタリアの人に話します。ワークショップのファシリテーターは「それはイタリアでは反対だ。自分の考えに焦点を絞る人が多いので、私たちは他人の考えに貢献する在り方を教えるのに注力する」と説明してくれます。つまり文化圏によって1人の考えに対する重心の置き方の傾向が違います。他人との協調(同調?)を優先し1人で考えることに重心を置くことに慣れていない人は、後者で苦労する。1人で考えることを徹底してきた人は、他人との協調で苦心する。しかしながら前述したように、民主主義を軸とする世界に生きていくならば、いずれにせよ「私一人で考える」ことを外すわけにはいかないのです。