書影『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)
目黒冬弥 著

 その日の夕方、寺川支店長が矢野課長と諏訪君を呼びつけた。

「この稟議だけどな、10億は貸しすぎじゃないか」

 その声がフロアに響いてきて、私は耳を疑った。朝夕の報告会で融資残高を上げろと発破をかけているのは寺川支店長だったからだ。

「桜田工業はメイン行で20億円の支援が決まっていたんですが、なんとか半分食い込めたんです」

 諏訪君が必死で状況を報告する。

「そうか、それならメイン行で全部借りたらいい。これはやめよう。断ってこい」
「あの……支店長………」

 諏訪君は驚いて言葉を継ぐことができない。横にいる矢野課長はただ黙って立っている。

「俺、ここの社長、気に食わないんだよ。あの生意気な二代目だろ? アイツ、嫌いなんだ」

 諏訪君の後ろ姿が耳まで紅潮していた。課長に肩を叩かれ引き下がると、真っ直ぐに部屋を飛び出していった。西山さんが走ってそのあとを追った。

 虚しさと悔しさと腹立たしさと、さまざまな感情が込み上げてきた。

 その晩、寮での夕食はいつもの光景に戻っていた。私は諏訪君になんと声をかければいいかわからず、ただNHKのニュースを眺めていた。

 ある日、営業まわりから支店に戻ると、諏訪君が満面の笑みを浮かべ、駆け寄ってきた。

「先輩、支店長が異動です!」

 支店長の異動は特別だ。まず本店の人事部から支店長へその旨連絡があり、支店長は副支店長へ伝え、そして各課の課長に下りてくる。その後、情報は部下たちに広まっていく。

「本当かよ!?」

 諏訪君はそのことを直接、私に伝えたいと駐車場で待っていたという。諏訪君は2年、私は1年を寺川支店長につかえた戦友だ。

 支店長の異動は“株式会社みやざきちゅうおう支店”という中小企業の社長交替と同じようなものだ。寵愛を受けていた者は落胆し、虐しいたげられていた者は歓喜する。

「本当なんだよな」と私が念を押すと、諏訪君は「夢ならこのまま覚めないでほしいですよ」と真顔で言った。

 このニュースが支店中に伝わった2週間後、寺川支店長は異動していった。