鉄道ファンの間で紛糾する
「長野電鉄は地下鉄か」論争

 驚いたのは長野電鉄だ。立体化には消極的ながら高架化であれば受け入れざるを得ないと考えていたが、地下化となれば費用負担は倍増する。しかも2キロ以上の区間を地下化すると、運輸省の通達により車両の不燃化を行う必要があり、絶対反対だった。

 だが、長野市の決意は固かった。一般的に地下鉄は必要とはされない30万人レベルの都市ではあるが、都市改造と大通り建設のためには地下化が不可欠と判断。高架化した場合の費用負担以上を求めないこと、車両の不燃化改造費用を事業費に含めることなど、「迷惑のかからないように面倒をみる」と約束し、長野電鉄はこれを受け入れることにした(ただ一部設備の費用は事業費に含まれず長野電鉄にも不満は残ったという)。

 こうして事業は1974年に認可され、翌年に着工。従来の線路脇に地下トンネルを建設し、1981年3月に地下線に切り替えた。地上からくいを打ち込み、土留めをしながら地面を掘り下げ、鉄筋コンクリートでトンネルを構築する工法は、当時の地下鉄建設技術そのままである。

 線路切り替え後、旧線を撤去して1983年までに長野大通りの整備が完了した。1970年代に設計、施工された地下トンネルだけに、数十年前の地下鉄のように見えるのは当然だ。ではこれを「地下鉄」と呼ぶことは適当なのだろうか。

 実は鉄道ファンの間では「○○線は地下鉄か否か」、とりわけ「長野電鉄は地下鉄か」は紛糾するテーマだ。もっとも地下鉄に明確、厳密な定義などないので議論の着地点はないのだが、地下鉄をなりわい(?)とする筆者としては何かしらの答えを出さねばなるまい。

 まず当事者は何と言っていたか。当時の記事をたどれば、長野市、長野電鉄とも何のためらいもなく「地下鉄」と書いているが、それが本来的な地下鉄という意味で言っていたのかは定かではない。

 そもそも地下鉄が何かと考えると、本質的には立体交差化された都市交通機関だ。自動車と道路を共有する路面電車は交通渋滞を招き、また地上を走る普通鉄道は街の分断をもたらす。そこで都市部の交通問題を解決するために道路と立体交差させた鉄道を都市高速鉄道という。

 前述のように立体化の手法には高架化と地下化がある。世界初の都市高速鉄道はロンドンの地下鉄であり、続いて実現したのはニューヨークの高架鉄道だ。地下鉄の中には都心部だけ地下線、郊外は高架線を走る路線があるが、都市高速鉄道としては地下区間も高架区間も等価である。

 翻って長野電鉄はどうだったか。これも先述の通り、長野市の交通問題を解決するために都心部の線路を立体化した事業である。地方都市としては多い1時間あたり最大4~5本が運行されているのも、長野市の都市交通機関としての役割を示している。地下区間約2キロは短いと感じるかもしれないが、例えば東京で言えば上野~浅草間、大阪で言えば梅田~本町間に当たる距離で、一部をトンネル化しただけのこととは言い難い。