角が立たない上手い言い回しで良好なコミュニケーションを

 例えば相手に対して「お前、嘘をつくなよ」と言うと、角が立ち険悪になります。そこで「お互い正直にやりましょう」と言うと角が立ちません。しかし、言っている内容としては同じです。同じことを相手に伝えるのにいかに上手な言い回しをするか? その言い回しがレトリックということです。

 直截的な表現だと相手を怒らせたり、面倒な状況になるところを、表現をぼやかしたり、時にはユーモアを交えることで、うまく相手に伝えます。ある意味で高度なコミュニケーションと言っていいでしょう。

 そのレトリックを用いるにあたり基礎となる要素の1つがアナロジー(類比)です。例えばコーヒーの美味しさを相手に伝えるときにどんな表現をするでしょうか?

「深いコクがあって、炭火で焼いたような香ばしさの中に、かすかだけどフルーツのような甘味と酸味が漂う」。「炭火で焼いたような」とか「フルーツのような」という表現に注目してください。食べ物の味や香りなど、感覚的なものに関しては、なかなかロジカルに説明することが難しい。

 そこで「~のような」という比喩的な表現を使います。これによって類推することで理解できるようになる。このような考え方や表現方法をアナロジーと呼びます。

 ちなみにキリスト教では「父なる神」という表現をよく使います。そもそもキリスト教は一神教ですから、父も母もいないはずです。神を表現するのにあえて「父なる」という言葉をつけるのは、神という存在を、人間社会での父親と類比させ、その存在を理解させやすくしたものだと考えられます。

 父親というのは強くて厳格ですが、いざとなったら家族を守る役目というジェンダー観が伝統的に存在します。神もまた人間に対して絶対的な存在であり、厳しさを持つと同時に、不出来で弱い人間を何とか守ろうとする存在です。そのことを一瞬で理解させるために「父なる神」というアナロジーを使っているわけです。