ラテン語こそ世界最高の教養である――。歴史、哲学、宗教のルーツがわかると大きな話題になっている『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』。著者は、超難関試験を突破し、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏。彼に貴重な特別インタビューを行った。現代社会では使われなくなったラテン語に、なぜ人々は熱中するのか。その知られざる魅力とは?(取材・構成/岡崎暢子)
「限りある人生」を全力で生き抜く
ハン・ドンイルさん(以下、ハン) 今、非常に困難の多い時代だと思います。ヨーロッパを行き来しているとさまざまな国の人々に出会いますが、特定の国の問題よりも、共通する問題の方が見えてきます。「経済的には非常に豊かなのに、精神的には、どの時代と比べても苦しんでいる人が多い」と感じます。
――そんな人たちにとって、心の支えとなるようなラテン語の名句はありますか?
ハン はい。3つありますので、順にご紹介します。
人生を後悔なく生きるためのヒント
Non me vixisse pænitet, quoniam ita vixi ut non frustra me natum esse existimem.
「私はこの生涯を後悔しない。自分が生まれたことが無駄ではなかったと思えるように、生きてきたから。」(キケロ、『老年についてCato Maior De Senectute』、23章、84節)
「私は、人生を悔いのないように生きる」という内容ですね。これはキケロの言葉です。
以前、講義中に学生の一人が私にこんな質問をしました。「先生は、ご自身の人生で何を残したいと思いますか」と。私は即座に、「残したいものはないが、残したくないものならある。それは後悔です」と答えました。人生とは、上手くいくことよりも後悔することの方が多いものではないでしょうか。そこで私はこの後悔をどうしたら減らせるのかを考えました。次の名句が答えに導いてくれます。
人生で迷ったときのヒント
Noli hærere in via, et non pervenire ad finem. Ad quidquid aliud veneris, transi usque quo pervenias ad finem.
「道に留まるな。目標にたどり着けないでしょう。どこに着こうとも、目標に到達するまで、ただ歩みなさい。」(アウグスティヌス、『ヨハネ書簡講解』チェ・イクチョル訳/芬道出版社)
これも教え子の質問に答えた中のひとつです。ある晩、卒業した教え子から携帯にメッセージが届きました。「先生、この苦しい生活のトンネルに、出口はあるんでしょうか」という問い掛けでした。その短い文面に私は心が痛み、何も答えられませんでした。数日間考えた末、その問い掛けにこう答えました。
「すべてのトンネルに出口はあります。ただし、最後まで歩んだ人に限って」。
私たちは道の上で立ち止まってはいけません。道は進むためにあるもので、立ち止まるためのものではないのです。韓国での私の授業には、日本からの留学生も参加していました。『教養としてのラテン語の授業』を読んで、私に相談しに来た日本の学生もいます。
その時、韓国の若者だけでなく、若者たちは皆、同じように悩んでいるのだと確信しました。ですから、すべての悩める人々、そして日本の読者に、最後に次の名句を贈りたいと思います。
絶望から立ち直るヒント
Dum vita est, spes est.
「命のある限り、希望はある。」
希望がなければ絶望もありません。キケロのこの名句は、本来、「つらくても命がある限り、希望があると言う。Aegroto dum anima est, spes esse dicitur(Epistulae ad Atticum、IX、10、4)なのですが、それを後世の人々が省略して「Dum vita est, spes est.」と用いて、そちらがより有名になりました。
人生とは、大方、自分の思いどおりにいかないもの、予期せぬ出来事を解決しながら前進していくものではないでしょうか。
その過程では、必死に立ち向かうこともあれば、簡単な方に流されることもあり、そして後悔したりもするのです。私もそうです。そしてそのたびに自分に語りかけます。「Dum vita est, spes est.それでも諦めずに生きていて、これからも生きていこうとしているじゃないか」。
ハン・ドンイル
韓国人初、東アジア初のロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士。ロタ・ロマーナが設立されて以来、700年の歴史上、930番目に宣誓した弁護人。
2001年にローマに留学し、法王庁立ラテラノ大学で2003年に教会法学修士号を最優秀で修了、2004年には同大学院で教会法学博士号を最優秀で取得。韓国とローマを行き来しながらイタリア法務法人で働き、その傍ら、西江大学でラテン語の講義を担当した。彼のラテン語講義は、他校の生徒や教授、一般人まで聴講に訪れるようになり、最高の名講義と評価された。その講義をまとめた本書は韓国で35万部以上売れ、ベストセラーとなった。
ラテン語を母語とする言語を使用している国々の歴史、文化、法律などに焦点を当て、「ラテン語の向こう側に見える世界」の面白さを幅広くとり上げている。ロタ・ロマーナの弁護士になるためには、ヨーロッパの歴史と同じくらい長い歴史を持つ教会法を深く理解するだけでなく、ヨーロッパ人でも習得が難しいラテン語はもちろん、その他ヨーロッパ言語もマスターしなければならない。加えて、ラテン語で進められる司法研修院3年課程も修了しなければならない。これらの課程をすべて終えたとしても、ロタ・ロマーナの弁護士試験の合格率は5~6%にすぎない。現在は翻訳や執筆を続けている。
著書に『法で読むヨーロッパ史』『カルペラテン語総合編(語学教材)』『カルペラテン語韓国語辞典』『ローマ法事典』『信じる人間に対して:ラテン語の授業2番目の時間』があり、『東方カトリック教会』『教父たちの聖書注解ローマ書』『教会法律用語辞典』などを韓国語に訳した。
【編集部からのお知らせ】
『教養としての「ラテン語の授業」』とは?
本書は、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士となったハン・ドンイル氏が行った「ラテン語の授業」を整理したものだ。
彼の授業は、単なる語学の授業ではなく、総合人文科学の授業に近い。西洋文明の源流ともいえるラテン語を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済など多くのことを学べる。
監訳を担当した東京大学名誉教授である本村凌二氏も「ヨーロッパ各国の歴史、文化、法律に焦点を当て、ラテン語を通して見える世界の面白さを幅広くとり上げている」とコメントしている。
読売新聞読書委員、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授などを歴任した若松英輔氏も「言葉はレンズである。古い言葉を通して世界を眺めるとき、古びることのない叡知がよみがえる」と絶賛している。
本書目次より
日本語版刊行に寄せて──叡知の貯蔵庫としてのラテン語
Lectio I 胸に秘めた偉大なる幼稚さ
――Magna puerilitas quae est in me
・ラテン語はなぜ難しいのか?
・レオナルド・ダ・ヴィンチがラテン語を猛勉強した理由
・「偉大なる幼稚さ」を大切に
Lectio II 最初の授業は休講します
――Prima schola alba est
・学問とは「人間と世界を見つめる枠組み」を作る作業
・ローマ人のシンプルな教育制度
・あなたの心の陽炎を見つめてください
Lectio III ラテン語の品格
――De Elegantiis Linguae Latinae
・「否定」の概念は“夜に流れる水”から生まれた
・ラテン語はインド・ヨーロッパ語族に属している
・古代の人々は「母」という概念をどう考えたか?
・ピタゴラスはインドの思想に影響を受けていた
Lectio IV 私たちは学校のためではなく、人生のために学ぶ
――Non scholae sed vitae discimus
・赤ちゃんに学ぶ「言語学習の本質」
・ラテン語の発音からヨーロッパ社会を学ぶ
・発音からすけて見える「ヨーロッパ人のプライド」
Lectio V 長所と短所
――Defectus et Meritum
・長所と短所の「語源」から見えてくるもの
・自分の短所と目をそらさずに向き合う
・ラテン語の名句に学ぶ「捨てる勇気」
Lectio VI ひとりひとりの“スムマ・クム・ラウデ”
――Summa cum laude pro se quisque
・奥深いラテン語の名詞
・真の教育とは、勉強したくなる動機を与えること
・ラファエロの絵画と神秘主義
Lectio VII 私は勉強する労働者です
――Ego sum operarius studens
・ラテン語「エゴego」の役割
・習慣の語源が教えてくれること
・「勉強する労働者」は挫折を楽しむ
Lectio VIII カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい
―― Quae sunt Caesaris Caesari et quae sunt Dei Deo
・イエスの使徒パウロとローマのかかわり
・キリスト教がここまで普及した理由
・キリスト教における「政治と宗教の分離」
Lectio IX たとえ神がいなくとも
――Etsi Deus non daretur
・法学者グローティウスの主張
・聖書は弟子たちによる“授業ノート”か
・人が哲学や倫理を求めた理由
Lectio X 与えよ、さらば与えられん
――Do ut des
・「あなたが私に施したから、私もあなたに与えよう」
・「相互主義」という国際ルールの起源
・人生は、他者を思いやることで完成する
Lectio XI 時間は最も優れた裁判官である
――Tempus est optimus iudex
・時間にまつわるさまざまな言葉
・長い時間をかけて辞典を作り、悟ったこと
・古代ローマ人は「幸せ」をどう考えたか?
Lectio XII すべての動物は性交後にゆううつになる
――Post coitum omne animal triste est
・絶望の日々をどう乗り越えたか
・ラテン語の名句を英単語と照らし合わせる
・「期待した瞬間」が過ぎさると、人間は絶望する
Lectio XIII あなたが元気なら、よかったです。私は元気です
――Si vales, bene est; ego valeo
・古代ローマ人のあいさつ
・郵便は軍事目的でも使用されていた
・「あなたが安らかであってこそ、私も安心できる」
Lectio XIV 今日は私へ、明日はあなたへ
――Hodie mihi, Cras tibi
・死をくぐり抜けた人間は、どんな香りを放つのか?
・古代ローマの葬儀
・人間は、他者に残された記憶によって香りを放つ
Lectio XV 今日を楽しみなさい
――Carpe diem
・名句Carpe diemは農業に由来する言葉
・今日を我慢し、節制するのは美徳なのか?
・ローマ人たちも「過去」に縛られていた
Lectio XVI ローマ人の悪口
――Improperia Romanorum
・ラテン語の「洗練された悪口」
・「神聖な」「呪われた」という2つの意味が混在する言葉
・「心の言葉」に耳を澄ませよう
Lectio XVII ローマ人の年齢
――Aetates Romanorum
・ヨーロッパ言語が「水平型言語」である理由
・イタリア人に受け継がれた「寛大な精神」
・学びとは、自分だけの歩き方を学ぶこと
Lectio XVIII ローマ人の食事
――Cibi Romanorum
・「私を上に引っ張り上げる」ティラミス
・古代ローマ人の一日の食事
・宴がわかれば、ローマの文化がわかる
・同性愛を禁止した合理的な理由
Lectio XIX ローマ人の遊び
――Ludi Romanorum
・ローマ時代のさまざまなゲーム
・セネカが軽蔑した「円形闘技場の熱狂」
・高度な技術力に支えられた公共浴場
Lectio XX 物事は、知っているものしか見えない
――Tantum videmus quantum scimus
・ムッソリーニが標榜した「偉大なイタリア」
・カエサルが暗殺された場所
・自分が知っているものしか目に入らない
Lectio XXI 私は欲望する。ゆえに存在する。
――Desidero ergo sum
・スピノザとデカルトの違い
・満足とは「十分に何かをする」こと
・人間が作り出した最高の仮想が、人間を苦しめている
Lectio XXII 韓国人ですか?
――Coreanus esne?
・「国」という概念はいつから生まれたか?
・「天才教授の怒り」忘れられないエピソード
・「私たちはみな同じ人間」という真実
Lectio XXIII しかし、今日も明日も、またその次の日も、私は進んで行かねばならない
――Verumtamen oportet me hodie et cras et sequenti die ambulare
・sex の由来は数字の「6」だった
・単語ひとつに思想が反映される
・勉強の由来は「心から望む何かに力を注ぐこと」
Lectio XXIV 真理に服従せよ
――Obedire Veritati!
・世界の問題を「世俗の学問」の力で解決する
・ボローニャ大学の果たした役割
・真理を解くカギは「宗教」にある
Lectio XXV みな傷つけられ、最後は殺される
――Vulnerant omnes, ultima necat
・古代ローマでどのように医学が発展していったか?
・心と体を傷つけるのは、他者ではなく、自分自身
Lectio XXVI 愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい
――Dilige et fac quod vis
・砂漠とは、神への信仰が深まる場所
・タクラマカン砂漠の洗礼
Lectio XXVII これもまた過ぎゆく
――Hoc quoque transibit
・今日できることは明日に延ばそう
・「朝、自分に微笑みかける」という課題の真意
・うれしいことをしっかり嚙みしめる
Lectio XXVIII 命ある限り、希望はある
――Dum vita est, spes est
・今の人生を送るか? 完璧な世界で新たな人生を送るか?
・希望の語源は「期待して望む」
・死と直面して悟ったこと
・感謝の言葉
・監訳者あとがき