社会起業家精神から教育改革の道への歩み

星:当時は社内でも重要なポジションだったと思いますし、周りからの反対も多かったのではないでしょうか?

藤原:リクルートの風土とは180度違いましたから、10人相談して9人には反対されましたし、「足を引っ張られるからやめとけ」とか、「日本の学校教育は地盤沈下で1人ではどうにもならない」などとかなり言われましたね。

 ですが、「1つの学校を、1人のマネジメントの力だけで、どれくらいよくできるか」をやってみたいと思い、その道を選んだんです。

星:なるほど。リクルートで培われてきたマネジメント力や、営業力・プレゼン力などもビジネスマンとして相当磨かれてきたかと思いますし、その知識や経験を活かして本格的に教育界へと入っていかれたのですね。

藤原:はい。まずは1つの学校の改革を進め、NHKや朝日新聞などのマスコミをバンバン入れ、報道を通して広く波及させることに成功しました。

 そこから「教育改革実践家」という道に繋がっていくことになります。

星:日本でもようやく「企業内個人」「企業に頼らずに働く方法」「職の流動性」などが議論されるようになったかと思います。

 現代のビジネスパーソンや若い人なら、藤原さんのお話にしっくりくる部分も多いかと思います。

 ですが、伺ったお話は今の風土ができるだいぶ前で、当時周りにいた人は必ずしも同じ価値観を持っていたわけではなかったと。

 現代でようやく浸透し始めている価値観を、すでに当時から藤原さんが堅持していたのは、リクルートという社風があったのでしょうか。

 それとも藤原さん自身がそのような考えを元々持っていたのでしょうか?

藤原:かつては私も、日本の学校教育と社会に鍛えられ、「みんな一緒に仲よく元気よく」という群れたがる人間でした。リクルートで営業をやっていたときもそうです。

 ですから、「社会起業家の精神」が元々私にあったというより、リクルートの風土や強烈なオーラがある創業者の横で仕事をしたことが大きく影響していると思います。

 決定打は、前述したメニエール病によって、自分の強みをそのまま活かしていけなくなったことや、それにより必然的に読書の時間が増え、自分の世界観をもう一回編集し直していったことも大きかったと思います。

 そして、リクルート事件(1988年)は強烈でした。

 当時、リクルートでマネージャーをやっていた人は、会社のブランドが急に剥がれて「リクルート」という肩書き自体が使えなくなったため、ものすごく鍛えられています。そういう試練を経たからこそ、その後いろんな分野で活躍していますね。

星:ありがとうございます。

 今回は、学生時代からリクルートで揉まれながら、徐々に社会起業家としての精神を身につけ、「教育改革実践家」へと転身されるまでの道のりを、興味深く聞かせていただきました。

 次回は、藤原さんの「教育改革実践家」としての具体的な取り組みについて、さらに踏み込んで伺えたらと思います。(後編につづく)