能動的な行動と発見を促す表現メディア

AI時代の社会とビジネスを変革する、ゲームという総合表現Photo by ASAMI MAKURA

――『湖ノ狼』を見て、ゲームはあらゆる表現の要素を含む総合コンテンツだと感じました。

 言葉、音楽、映像、インタラクション、ストーリーテリング……と、ゲームには本当にありとあらゆる表現要素が含まれていると思います。だから、これほど人を魅了するのでしょう。

――ゲームを単にエンターテインメントツールと考えるのではなく、「深い理解をもたらす体験型メディア」と捉えれば、さまざまな可能性が広がるのではないでしょうか。

 そうですね。「ある世界観に没入して、当事者性を追体験できる」ことはゲームならではの特性です。例えば、戦争や災害の記憶を語り継ぐ試みはさまざまに行われていますが、生々しい映像が膨大に残っている災害でも、それを直接経験していない人が、映像だけで日常と災害の連続性を見いだすのは難しい。しかし、もしゲームになっていたら、昨日まで普通に歩いていた場所が突然失われる、という壮絶な体験すら、実感とともに追体験できるのではないかと思います。

 こうした方法は、ビジネスでも、広報やプロモーション、あるいは企業ビジョンの浸透などに応用できるのではないでしょうか。企業の歴史や風土を学ぶ研修でも、ゲームのように能動的に体験できるコンテンツがあれば記憶に残りやすいし、言語化が難しいニュアンスも伝えることができると思います。

――そこまで没入感のあるゲームを開発するのは大変そうですが……。

 人を魅了する世界観を構築するためには、気候、風土、産業、歴史、コミュニティーなど、見えない部分まで細かく設定しなくてはいけないので、確かに大変ですね。しかし、自分で実際にゲームを開発してみて面白かったのは、細部まで世界観を構築すると、その中の点と点がつながって、ストーリーが自然に生まれてきたことです。映像作品なら、まずストーリーを組み立ててから表現を作り込むのが普通ですから、順序が逆なんです。

『湖ノ狼』の前に、やはり東北の伝承をモチーフにした『大歳ノ島(オオトシノシマ)』というゲームを作ったのですが、このときは架空の島を舞台にして、漁村、塩田、棚田を中心とした三つの集落を設定しました。ここに「サケの回帰は吉祥だ」とか「風の妖怪が恐れられている」といった伝承を掛け合わせていくと、物語がいくらでも生まれてくる。物語を作り出すというより、あらゆる可能性が溶け込んだ世界から物語をピックアップしていくような作業でした。