小野薬品を率いる相良暁社長が、前任の福島大吉前会長より経営のバトンを受け継いでから、この9月でちょうど15年が経つ。売上高に占める長期収載品の比率が9割に達し、新薬メーカーという枕詞をいよいよ返上せざるを得なくなっていた当時の小野の姿に思いを馳せると、製薬企業を「変える」最大のファクターは、トップの資質でも、優秀なコンサルタントの介在でもなく、たった1錠の、あるいは1バイアルの革新的薬剤で充分なのだという業界の「真理」に改めて至る。
14年に悪性黒色腫を適応症として、世界初の免疫チェックポイント阻害薬との触れ込みで上市された「オプジーボ」。翌年の非小細胞肺がんへの適応追加を機に世界展開が始まり、22年度予想は製品販売で1450億円、米ブリストル・マイヤーズスクイブからのロイヤルティ収入で668億円(22年度第3四半期累計)を叩き出すまでに成長した。米メルクからのロイヤルティ収入を含めれば単純計算だが、小野の売上高の6割程度をオプジーボ関連で稼いでいることになる。収支構造的には“オプジーボ製薬”と称してよいほどだ。
もし、このヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体がなかったら、小野は、未だに年商1500億円未満の、かつ国内でも影の薄い中堅として、生き残りに日々もがき続ける存在にとどまっていた可能性が高い。会社を支える優秀な人材も証券アナリストからの注目も集まらず、地盤沈下が止まらない大阪・道修町の同業他社と「衰退」を競い合っていただろう。いずれにせよ、新薬を自社創製することの時代を超えて変わらぬ重要性を、社の内外に強く印象付けた小野復活劇の第1幕であった。
ただし、ステークホルダーという名のオーディエンスは、序章がドラマチックであるほど、続く第2章に、一層の刺激と満足を求める傾向があるものだ。そしてこの段階こそ、「釈迦に説法、孔子に悟道」を承知のうえで述べれば、トップの真の力量が試される。