平屋建ての研修施設
中に入ると驚きの構造
私が入行した頃は、総合職の新入行員が全国から集められ、本店講堂で華々しい入行式が開かれた。当時の新卒採用は、総合職でおよそ500人だったと記憶している。現在、男女の割合は6:4ぐらいなのだが、当時は女性が5人もいなかったと記憶している。とにもかくにも、総合職(隔地間の異動がある勤務形態)は男性、一般職(自宅や寮から通勤可能な勤務形態)は女性という固定観念が根強かった。なので、彼女らを見かけると、
「この子、優秀なんだろうなあ…」
などと勝手な想像をしたものだった。
入行式のことは残念ながらほとんど覚えていなく、壇上で頭取が話をし、代表の新入行員が銀色の胸章を受け取ったところだけを妙に覚えている。
式が終わると、本店前に横付けされた10台ほどのチャーターバスに乗り込む。そして、近郊にある宿泊施設付きの研修所に向かうのだ。不安しかない。バスがどこに向かっているのかわからない。映画「バトル・ロワイアル」に出てくる、修学旅行に向かうバスのようだ。
その映画では無人島に連れていかれ、その後、殺し合いの惨劇が繰り広げられた。私の場合、事前に知っていたのは期間が2週間ということくらいだった。研修…何されるのか?ついていけるのか?
バブル期の都市銀行は豊富な財力を誇り、それぞれの研修所も豪奢を極めていた。そもそも銀行というものは、顧客の財産や借金のおこぼれにあずかって成り立っている。外見が絢爛(けんらん)豪華であれば、世間から批判を浴びてしまう。
到着した研修所は、想像とは違っていた。最寄りは首都圏にあるターミナル駅なのだが、そこから車で20分もかかる、山あいにある平屋建ての施設だった。
この大人数を収容できるのだろうか?疑問に思いながら中に入ると、なんと地下5階の構造だった。昭和40年代後半に建造されたそうだ。当時はオイルショック。そんなご時世に高層建築施設などを造れば「銀行ばかりもうけやがって」と非難の的になる。そこで、地下5階となったのだ。かえってコストは割高になっただろうが…。