「山上みたいなことやれば世の中変わる」と勘違いさせたワケ
前出の記事を引用しよう。
<事件が引き起こした恐怖と衝撃で世論がガラリと変わって、自民党や政府も何十年も続けてきた教団との関係を見直さざるをえなくなった。誤解を恐れずに言ってしまうと、山上容疑者は「この国の不条理を変えるには、実は暴力が最も効果がある」と身をもって証明したのだ>(同上)
どんな理屈をこねようとも、山上被告の「テロ」によって、彼が望むような成果が得られてしまった、という事実は否定しようがない。
山上被告がテロを起こしたことで、旧統一教会は「反日カルト」という社会評価が定着した。そして、岸田首相までが「社会的に問題が指摘されている団体」と表現して、自民党としても「関係断絶宣言」をすることにまでなった。
その結果、地方議会でも関係断絶の決議が取られ、ボランティアや社会貢献活動をしていた旧統一教会の信者も続々と締め出されている。山上被告が苦しんだ宗教2世の問題にも社会的関心が集まっている。このような社会のムードは、山上被告の「テロ」前には考えられなかったことだ。
これまでも紀藤正樹弁護士や、鈴木エイト氏らが旧統一教会の問題を指摘していたが、政治もマスコミもまったく動かなかった。しかし、山上被告の「テロ」で政治もマスコミも人が変わったように動き出した。弁護士やジャーナリストが十数年かかってもできなかったことを、山上被告は「暴力」によって、わずか数カ月で成し得てしまったのだ。
さて、ではこのような「テロの成功モデル」が社会にどのような影響を与えるか想像力を働かせていただきたい。世の中に不満がある人、この不条理な社会構造を変えたいという人はきっとこう思うはずだ。
「なんだよ、山上みたいなことやれば世の中なんて一発で変わるじゃんか」――。
つまり、暴力はよろしくないんだけれども、世の不条理を正すという「大義」のための暴力は世間から一定の支持・共感を得られるのではないか、と勘違いしてしまう人が出てくるのだ。木村容疑者もそのクチではないか。