死について考えることは、多くの人にとって楽しいものではないだろう。
しかし、人が死について語ることばは、ときに人を勇気づける。「どう死ぬか」は「どう生きるか」の裏返しなのだ。
2023年4月に発売された『生きるために読む 死の名言』(伊藤氏貴著)は、「死についての名言」だけを集めた書籍。作家、医師、漫画家、武士、コメディアンなど、さまざまな分野で名を残した人物の、作品・遺言・遺書・辞世から珠玉のことばを紹介している。
本連載では特別に『死の名言』の中からひとつを抜粋、再編集してお届けする。
あらゆる手を尽くし、命を救った
「まず命を救え。
アメリカ人だろうが、
アフガン人だろうが、
日本人だろうが、
命は命です。」
『ライフアシスト』2014年 第9号 より
アフガニスタンなどで井戸を掘り、用水路を引き、という現地の人のための地道な活動に従事してきた医師・中村哲の訃報は衝撃的でした。
命を救いに行って逆に命を奪われる理不尽。ただし本人は、こうした万が一を覚悟していたということです。
本来、援助に向かったのは医師としてでした。パキスタンでは、当時ハンセン病に苦しむ患者が二万人いましたが、専門医はたった三人。
中村は自ら志願して、現地の医師も避けたがるハンセン病治療にあたります。この病は患部の感覚がなくなり、足を怪我しても気づかず、そこから傷が広がり足を切断する人が後を絶ちませんでした。
そこで中村はサンダル作りをはじめます。病気や怪我を治すことよりも、まずそれを防ぐこと。水を引くことも含めて、これこそ「まず命を救え」ということでしょう。専門知識を備えた医師としてのプライドなどはここにはありませんでした。
そして命の重要性の前には、人と人の間に何の区別もありませんでした。自身はクリスチャンでしたが、現地ではモスクの建設もしました。彼らにとっての信仰の重要性をよく理解していたからでしょう。
職業や信仰や人種などの自分の立場よりも、あくまで相手の命をなにより大切にした中村の死が悔やまれます。
中村哲
1946-2019 没年73歳
医師。九州大学医学部卒業後、国内の病院で勤務し、38歳のとき日本キリスト教海外医療協力会から派遣されてパキスタン北西のペシャワールに赴任。以来二十年ほどパキスタンでハンセン病の治療にあたるが、国内情勢によりアフガニスタンに移る。しかし、2019年12月、車で移動中に何者かに銃撃され死亡。
(本稿は、『死の名言』より、一部を抜粋・編集したものです)