『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

「理系の分野を独学するのに、古い本を買っても意味がない」は本当か?【『独学大全』著者が教える】Photo: Adobe Stock

[質問]
 おはようございます。質問というか愚痴になってしまうかもしれませんが……。
 K県の大学図書館を良く利用している大学生なのですが、ある日に大学図書館が開催したリユースセール(除籍処分となった本を格安で売る)が行われ、私もそこで買いに行った日のことです。
 そこで学生が「古い本を買っても何も参考にならない。特に理系は」というような発言を耳にして、とても複雑な気持ちになりました。確かに現在の説とは全く違うような解説や考えが載っていたり、重要な概念が載っていないことはその分野をまなぼうとするとのにとって教科書とはしにくいのだろうと考えられます。しかしながら、過去の文献があるからこそ今の学問があり、上記の学生の発言はこれまでの学問を否定されているような印象を受け、何処と無く悲しくもなってしまいました。

 そこで質問なのですが、読書猿さんは古書を独学で使うことにどのように思われますか?特に自然科学や医学といった理系分野において古い情報が記載されていると思う文献を漁ることは間違っているのでしょうか?

 長文失礼いたしました。

何かを「新しい」と認識するには、それと対照されるものが必ず必要です

[読書猿の回答]
 確かに図書館のリユースセールという場所で口にする言葉ではありませんが、その学生の方は、一度言ってみたかったセリフを言える機会が到来したと思ってしまったのでしょう。

 溜飲を下げてもらえる返歌として、一度は言ってみたいがなかなか機会がないセリフをご用意しました。

「森へお帰り。この先はお前の世界ではないのよ」(『風の谷のナウシカ』)

 さて、本題です。
 学術情報の流通から見れば、書籍に載っている情報は確かに新しくありません。何らかの形で発表された新知見が書籍にまとめられるまでには、いくつものプロセスが必要であるからです。

 たとえばある分野の教科書を出すまでには企画・執筆・編集・出版のすべてに時間がかかります。その間にも当該分野での研究は世界中で進められ、最新版の教科書でさえ出版された時には、その一部の記述は新しい研究によって否定されている、ということが起こります。

 書いてあることなら何でも「正解」だと思ってしまう読書の幼年期にある方には、できる限り「要修正箇所」が少ない書物を選択したいところですが、最新の書物であっても「要修正箇所」は皆無にできない以上、我々はこうした、むしろ知識更新のあり方と書物の持つ特質を注意を払うべきではないかと思います。

 速報性や更新性は、書物が誇るところではありません。書物の優位はむしろ、その不変性と蓄積性にあります。

 私は一時期、英語で書かれた大学教科書の古本をネット古書店からよく買っていました。版を重ねる教科書は、新しい版が出ると各大学図書館から放出されるので廉価で中古市場に出回ります。
 いくつかの版を比較すると、改訂される情報は、教科書全体の中でかなり少ないことが分かります。更に刊行年の離れた教科書を比較すると、その分野の流行不易、どの部分が変わりやすく/変わらないのかが分かります。
 こうした比較が可能なのは、一度刊行された後は変化せず、そのままの内容であり続ける書物の不変性と、更新しながら版を重ねる教科書の特性があるためです。

 回答はここまでですが、少し余計な話をしてみます。

 何かを「新しい」と認識するには、それと対照されるものが必要です。古いものを知らなければ、既存の知識体系に対して位置づけなければ、何がどう新しいのか、理解することもできないからです。

 たとえば新知見を発表する学術論文の序論では、関連する既存研究がまとめられ、それらに対してこれから記述する知見が、既存の何に対してどのように新しいかを説明する必要があります。

「新しさ」のための旧来のものへの参照は、私達がなにか読んで理解する際にも不断に行われています。新しいことが書いてある文章を私達が理解できるのは、そのほとんどが旧来の言葉や知見で構成されているからです。

 最後に『独学大全』から引用します。

「変化の激しい分野で最先端の情報を追いかけることを続けていると、自然と書物から遠ざかることになる。査読から出版されるまでのタイムラグを待てず、論文すら遅く感じてしまい、他の手段に頼ることが多くなる。
ネオマニー(新しいものへの熱狂)に浸りきるならますます書物は不要の存在に思えてくるだろう。
しかし過去とは、二度と省みられない廃棄物なのではない。それは我々の現在を支える大地なのだ。焦りに我を失い、浮わついた自身に気付いた時、自分がどこへ向かっているのかさえ見失った時、再び現在という地表を踏みしめるために、書物の遅さ・変わらなさは救いとなり恵みとなる。
ある部分で未来を追い求めていても、それ以外の部分では、人は旧態依然とした存在にとどまらざるを得ない。書物は、人の改訂されざる部分を、静かにいつまでも待っていてくれる。」