ターミネーターは
オマージュ

 ぼくら人類に宿る本能には、「なにかを生み出したい」というクリエイティブな欲求があるように思います。その1つの究極の形として、生き物のなかでもっとも知的なシステムを有するもの、つまり「ヒト」を創造したいという欲求があるのは、自然とも言えます。

 しかし同時に、「ヒトがヒトを創造するとなにか悪いことが起こる」という不安も持っています。映画「ターミネーター」は、このような人類の複雑な気持ちを描いた作品をオマージュしたものであるように思います。

 日本のアニメでは多くの場合、ロボットや人造人間を造ってもすぐにお友達になってしまう能天気なところがあります。けれども、宗教の影響を色濃く受けている、あるいは偶像崇拝を忌避するような歴史的背景がある文化では、それらに対する慎重な姿勢が道徳観として浸透し、潜在意識にも影響を与えているのかもしれません。

「自分たちより能力の高い存在が現れ、自分たちが排除される」ことへの恐怖は、人類が自らの価値を能力で測っている以上、避けられないことです。

 しかし、人類の価値を能力で測ることをやめると、話は変わってきます。

 すべての人類は存在することに価値があり、幸せになるために成長していく権利がある。そんな価値観のもとでは、「自分たちより能力の高い存在が、自分たちを成長させてくれる」という新たな捉え方も出てきます。

 結局、ロボットがいることで人類の社会がよりうまく回るのであれば、その存在は認められますし、不安を感じる人が多いのであれば、「廃止すべき」という結論になるのです。