日本の生活保護基準が「高すぎる」とされる時、比較の対象とされるのはOECD諸国の公的扶助水準である。なかでもアメリカは、日本では、公的扶助水準が低い国として知られている。
今回は、アメリカ・ボストン市で見た、困窮者の生活とその周辺の断片のいくつかを紹介する。そこには、日本とは異なる公的扶助・支援の諸相がある。
各国ごとに異なる公的扶助は、単純に比較できるものであろうか?
日本の生活保護基準は
「米国並みに下げる」べきか?
日本の生活保護基準は、金額を国際的に比較した時には、決して世界的に低い水準にはない。日本よりも高い国を探す方が大変なほどである。このことを根拠に、
「日本の生活保護基準は高すぎるから、引き下げて先進諸国並みにすべき」
という意見が数多く見られる。この時、金額以外の要因が考慮されることは少ない。
また、日本の捕捉率(注)は、決して高くない。このこともまた、
「一人あたりの生活保護水準を引き下げれば、必要な人が全員、生活保護を利用できるようになる」
という主張の根拠とされる。たとえば日本の捕捉率が20%であるとすれば、生活保護費の総額を変えずに貧困状態にある国民全員に扶助を行うためには、生活保護費を現在の20%まで引き下げればよい計算になる。
このとき、引き下げてよい根拠としてしばしば引用されるのは、アメリカの制度である。
本稿を執筆している2013年2月19日現在、筆者は学会への参加・取材のために、アメリカ・ボストン市(マサチューセッツ州)に滞在している。ボストンは、2月上旬のブリザードで積もった雪が未だ充分に除雪されておらず、学会会場と宿舎との往復にも難儀する状況ではある。しかし駆け足ながら、現地の貧困事情も見聞している。
今回は予定を変更し、ボストン市の困窮者をめぐる事情のいくつかについてレポートする。
(注)公的扶助を利用している人数を、貧困状態にある人数で除したもの。日本では、20%前後と推定されることが多い。