ロンドン爆破テロ事件に遭遇、
今も腕には傷痕が残る
金融街シティで過ごした6年の間に、黒木はロンドン爆破テロに遭っている。1992年4月10日、金融街シティの路上でIRAがバンに載せた500kgほどの爆弾を爆発させ、黒木のいた23階建てのビルはその衝撃で倒れかけた。粉々に砕け散った分厚い窓ガラスの破片で数十人が負傷、「しばらく、道にバンが止まっていると怖かった。いまだにそのときの傷痕が右手首や左肘に残っていますよ」と、黒木は傷痕を見せてくれた。
医師が上手に縫ってくれたという左肘の傷に比べ、比較的大きく凹凸が残っている手首の傷を見せながら、「縫合の経験がない医学生の実習台になったんですよ。でもまあ、英国は医療が原則無料(NHSという国民保健サービスによる)だからこんなものかな」と笑う。多数の死傷者を出したテロで、病院も人員が足りず、医学生を投入して対応に当たった。被害規模と混乱の大きさが感じられるエピソードだ。
ふと、黒木は英国の医療制度に触れた。「とはいえ英国の医療は、NHSなんてやってて原則無料でも、結構クオリティーが高いですよ。日本とはだいぶ効率が違うよね」。
コロナ禍によって世界各国は
「同じ課題で力を試された」
コロナ禍の間、英国在住の黒木は日本への帰国もままならなかった。今回の一時帰国(5月上旬)は、コロナ禍明けでは2度目。「去年の10月に帰国したときは、まだ日本はコロナ対応の真っ最中で、空港からのリムジンバスも大幅減便。面食らいました」と、すでに昨年5月にはコロナ規制を全廃し、マスク着用義務などもとうに過去の話である英国暮らしとの違和感を語る。
黒木が海の向こうから見たコロナ禍の日本は、すっかりナンセンスに映ったようだ。
「日本ではみんなマスクをして、満員電車ですし詰めになっている。狭い街のあちらこちらに行列ができて混んでいるし、これは大変なところだなと。今回の帰国で、ようやく日本もマスクを外し始めているけれど、経済を正常化したいと言いながら日本のコロナ対策はもう全て後手後手で、どうしようもないと思いましたけどね。国家のリーダーシップが失われている。コロナ禍というのは世界各国が『同じ課題で力を試された』んだと思います」
「イギリスは見事でしたよ。ワクチンがまだ開発されないうちに、『マイルストーン・ペイメント』などベンチャーキャピタルの手法で開発費を支援して、完成したらワクチンを優先的にもらうという戦略を取った。開発と同時並行で接種計画を策定して、ロジスティクスも全て整え、注射打ちのボランティアも1万人ぐらい養成しました。医療資格のない18~69歳の素人を訓練して注射打ちにしたのは、救命救急のNPOに所属する16歳の若者でした。そして先進国で一番早く、2020年の12月からワクチンの接種を始めた。片や日本は、接種は自治体と職域に丸投げ。マスクだけ一生懸命して、いくらか感染は抑えられたのかもしれないけれども、それほど素晴らしい結果を出したとも思えない」
黒木は、日本がリーダーシップを失ったと繰り返した。
「ウクライナ支援でも同じことです。ボリス・ジョンソンがウクライナに特殊部隊を派遣し、イギリスが最初に動いた。日本は政治家が萎縮しています。マスコミにばかにされたたかれたくないから、決断せずに選挙だけやり過ごす。すると現場が頑張るしかないから、日本は現場の仕事熱心さはピカイチ。でもリーダーシップがない。昔は、日本は金権政治であったとはいえ、リーダーシップはそれなりにあったんでしょうね。けれど政治家の資質が下がって、小泉・安倍政権で官僚の力もそがれてしまった。国家財政も借金を膨らませ、どうしようもないところまで来てしまった」
その理由は、人材の劣化だという。